社会不安障害が過保護な家族によって支えられていることが、明らかに、あるいは暗に、認識できるケースもあります。
過保護はたとえば、本人にかわって決定をしたり、トラブルを予防しようと動いたり、安心を提供しようとして「あなたはずっとこのままで大丈夫だからね」と言ったり、という具合にです。
あるいは、過保護は他人との関係のなかで本人の代理をしてしまう、ということもあります。
本人が社会的な行動をとろうとすると足を引っ張る過保護な人もいますが、これは本人の自立を事実上阻害していることになります。
たとえば、自分の妻の内気さが問題だと言いながら、妻が実際に外に友人を作ったり社会活動をしたりしようとするとよい顔をしない過保護な夫、などというケースもあります。
過保護、これは「鶏と卵」のようなもので、どちらが先だったのかは実際のところよくわからないことが多いです。
人が社会不安障害になると、その家族は過保護になりがちですし、もともとそのように育てられたことが社会的なスキルを育てる機会を奪い、社会不安障害の発症につながったという可能性もあります。
三十歳の女性シオミさんは人前で話すことに恐怖を抱いていた社会不安障害の患者さんですが、家族との人間関係を聞いていくと、両親がとても過保護で、シオミさんのことを子どものように扱っていることがわかりました。
同居を続けているだけならまだしも、両親、特に母親は過保護で、社会不安障害のシオミさんのプライバシーに至るまで全てを知りたがり、シオミさんもすべてを話していました。
その社会不安障害のシオミさんの話に合わせて、心配性の過保護な母親は先回りしていろいろなことをやってくれていました。
過保護はたとえば社会不安障害のシオミさんがブティックでの販売のアルバイトを見つけてきたときには、「そんな不安定な仕事では病気が悪くなる」と言い、自分の知人の会社で働けるように話をつけてしまいました。
その会社は、社会不安障害のシオミさんには全く関心のないIT系の業務をしていました。
社会不安障害のシオミさんは、ファッションに関心があったので、ブティックであれば、そして、女性客との一対一の接客であれば、何とか自立していけるのではないかと自分なりに考えた結果だったのですが、過保護な母親によって職種も変えられ、さらに過保護な母親は、社会不安障害のシオミさんにいろいろと便宜を図るように、知人である社長に頼んでしまったのです。
その過保護なことによって、社会不安障害のシオミさんは、自分が自立できない人間だという感覚を改めて植え付けられ、そんな経緯を知られるのが恐いために人と親しくなれず、社会不安障害の悪循環を作りだしていました。
対人関係療法としては「役割をめぐる不一致」と考えるのが最も適切だと考えられました。
過保護が社会不安障害のシオミさんにとって何が一番よいのかということについての考え方のずれがあると思われたからです。
社会不安障害のシオミさんに、過保護な両親との関係性を治療の焦点にするのはどうでしょうかと提案すると、直接反対はしませんでしたが「私には、やっぱり認知行動療法のほうが合っているような気がします」と言いました。
その理由を聞くと、認知行動療法についての知的な話をいろいろとして、「〇〇大学の××先生も、やはり社会不安障害には認知行動療法がよいとご著書に書かれていましたし」などと、自分と直接関係のない話をしていました。
それらに反論することなく、対人関係療法を受ける上で何か心配なことがあるのか、ということをよくよく尋ねていくと、治療を受けると過保護な両親と無理矢理引き離されるのではないかと思っていたようでした。
過保護な両親との距離の近さは彼女にとって「安全」を提供してくれる側面もあり、それを奪われると感じて不安になったのでした。
治療は彼女を過保護な親から引き離すものではないこと、そして、目標とすることは、過保護な親との関係性のなかで自分がもっと成長した大人として感じられるようになることであることを説明しました。
それは一時的には過保護な両親との間に緊張を引き起こすかもしれないけれども、現在母親の過保護さに対して感じているいきどおりなどを感じなくてすむようになるので、結果としては家族に感じる親しみは増すかもしれない、ということを説明しました。
社会不安障害のシオミさんはこの説明に納得し、過保護な両親に対して自己主張をし始めました。
まずは、ブティックの販売の仕事は、自信はないけれども、自分なりに考え出した進路なのだということを打ち明けました。
過保護な両親には、そうやって自分の意見を持って試行錯誤していくことが社会不安障害の治療のためにどれほど必要なことであるかを説明しました。
過保護な両親も、社会不安障害のシオミさんを近くにおいて安全を確保してあげたいという気持ちと、それを続けていたら過保護な両親の死後にどうなるのだろうかという心配とのジレンマに悩んでいましたので、治療の必要性には納得してくれました。
社会不安障害のシオミさんは、ブティックでのアルバイトを始めました。
そのなかでの悩みを母親に打ち明けると「だから言ったでしょう。そういう職場だってわかっていたのよ」と言われるということが何回かありましたが、社会不安障害のシオミさんはそんなときにも「働いているふつうの人みたいに悩むこともいけないの?」と言えるようになり、それを過保護な両親が受け入れてくれることに満足するようになりました。
そして、職場の同僚とも、少しずつ話ができるようになっていきました。
過保護に育てられたシオミさんの例からもわかるように、社会不安障害を対人関係と結びつけることは、一時的に不安を強めることが少なくありません。
社会不安障害の患者さんはそれまでは不安を強める状況を回避してきたために、「小康状態」にあることが多いからです。
過保護は自覚症状としても、さびしい、自分が損をしている気がする、充実感がない、などという漠然とした不満しかない場合があります。
過保護な対人関係との関連に注目していくと、それまで避けていた状況に向き合うことにもなりえます。
過保護な対人関係との向き合いは当然のことですがそれは強い不安を引き起こす可能性があります。
過保護な対人関係との向き合いは一時的であれ、不安が強まる可能性は見込んでおくべきです。
「治療を受ければ楽になる」ということは、社会不安障害に対する対人関係療法については、長期的には正しいけれども短期的には必ずしも正しくないときもあります。
忘れずにいたいことは、事態は決して絶望的ではないということです。
過保護な対人関係との向き合う新たな行動パターンを試すときの不安は、決して現実をそのまま反映したものではなく、不安でも前進していくことによって、最終的には必ずプラスになるものです。
強い不安の最中には、それがプラスの結果を生むなどということは非現実的に思われるものですが、今までの治療経験からはそれが現実であることが知られています。
※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著