[激務から解放されたとたんに症状が続出]
Nさんは三十四歳のときまで、バリバリの営業マンとして、第一線で働いていました。
一カ月に100枚くらいの名刺を使うような仕事ぶりでしたが、職場のちょっとしたトラブルに巻き込まれ、この機会に、かねてから考えていた起業をしようと会社を辞めました。
それからすぐに、従業員が10人程度の小さな会社を立ち上げました。
社長といっても、営業マン時代ほど多忙ではなく、気楽なものです。
ところが、予想もしていなかった事態が起こりました。
ものすごく忙しい仕事から、一挙に解放されたためか、脱力感や取り残された感じに襲われ、ちょっと精神的に不安定になってしまったのです。
毎日、おおぜいの人と会ってきたNさんが、なぜか人込みや人付き合いをさけたくなってきました。
「何か変だ、おかしい」と思いながらも、会合や会議に出られなくなり、レストランに入れなくなって、映画やコンサート、演劇鑑賞もできなくなりました。
父の日に、幼稚園へ父兄参観に行っても、わけのわからない圧迫感を覚えて、そこにいられないのです。
子どもと工作をしなければならなかったのですが、たまたま来ていた知り合いのお母さんに子どものことをお願いして、途中で逃げ出してしまいました。
葬式に出たら、最初に焼香をしてその場を立ち去りたくなるし、結婚式に行くと、イスにしがみついていないといけないくらい、体が逃げそうで、座っていられません。
理由はうまく説明できませんが、自分が倒れる、吐くなど、何かとんでもない粗相をするように思えて心配でたまらず、そこにいること自体がとにかく苦痛なのです。
いまになって思えば、28歳のときにも、結婚式のスピーチができなくて、乾杯の音頭発声に替えてもらったことがありました。
これも、いま思うと一つの徴候だったのでしょう。
人込みなどとは違いますが、テレビも見られなくなりました。
もともと好きだったボクシングの放送も、見ていると、自分が殴られるような感覚に陥り、頭に血が上ってめまいがしてきます。
営業のときは一日乗り回していた車も、普通に走っている間はよいのですが、信号で止まったり、渋滞に入ったりすると、とたんにおかしくなります。
前の車に追突しそうで、冷や汗がでてくるのです。
幼稚園に車で子どもを迎えに行き、よその子どもを乗せて渋滞になったときは最悪でした。
事故でも起こしたらと思うと、不安で心配で、いてもたってもいられませんでした。
近くの寿司屋などで、お酒を飲みながら食べるのは、かろうじて大丈夫でした。
神経とはおかしなもので、酒が入ると気が大きくなって耐えられるのです。
しかし、ほかの食事などはまったくダメでした。
このほか、マンションを買ったときの契約書が、人前で書けないという書けいも経験もしました。
司法書士の立ち会いのもとで書かなければならなかったのですが、少し離れた机で書く許可をもらい、なんとか書くことができました。
突然、こういった症状が出てきたので、Nさんは「きっと頭のどこかの線が切れたのだ」と思いました。
そのことが公になれば、立ち上げたばかりの会社に仕事は来なくなり、従業員は路頭に迷うと思い、「とにかく隠さなければ」と考えました。
そこで、こういうことを誰にも気づかれないように、「演説はしない、人と会食をしない、打ち合わせはできるだけNさんの事務所に来てもらう」といった方針を決め、私をカバーしてくれる社員を配置しました。
あとは電話や電子メールを活用し、仕事と生活の基盤をつくっていきました。
こうして、35歳のときから20年近く、このことを隠し続けてきました。
その間、脳の病気を疑って、脳外科で2回、MRIによる検査をうけましたが、異常は見つかりませんでした。
社会不安障害の薬物療法で一カ月で自分に自信がついた
さて、ちょうどその頃、Nさんは社会不安障害(SAD)の広告を目にし驚きました。
そこに書いてある症状が、自分に全部当てはまっていたからです。
「この病気だったのか」と、ホッとするような気が抜けるような気分でした。
また、このような症状が薬で治るとは、想像もしていなかったので、とても意外でした。
しかし、そのときはまだ、電話をする勇気が持てませんでした。
そして、その一年後もう一度、社会不安障害の広告を目にして、「今度こそ」と思いきって電話をしたのです。
Nさんとしては、52歳になり、ひょっとしてこの症状がよくなれば、残りの人生が、少しは楽しく行けるのかなあということを真剣に考えた結果でした。
そしてNさんは病院を受診し、これまでの経過を話しました。
医師からは、Nさんが社会不安障害と思われること、治療法としてSSRIという薬が有効なことなどの説明がありました。
さっそく薬を飲み始めて、最初は変化がよくわかりませんでしたが、一カ月ほどたつうち、ガーっと不安などが高まる症状は減ってきました。
やがて、自分に自信がついてきて、「ちょっと飯でも食いに行こうか」と妻を誘えるようになりました。
ほかのことも、しだいに克服でき、人前で落ち着いてふるまえるようになりました。
薬の効果に加え、医師に心を開いて話せたことの効果もあったかもしれません。
20年近く隠してきたので、誰かにじっくり聞いてもらえたことで、非常に気分が軽くなったのです。
もちろん、薬は薬で効いているという実感があります。
その後も投薬を受け、もう一年と少し続けていますが、仕事や生活のほぼすべての場面で、前のような不都合は感じなくなりました。
残りの人生が前向きで明るいものに変わると思えるので、偶然とはいえ、薬物治療の道が開けたことに感謝しています。
もしNさんと同じような人がいて、このサイトを読んで社会不安障害のことを知ったなら、勇気を出して治療に一歩踏み出すことを勧めたいと思います。
社会不安障害は、思春期や若い頃に発症するのが一般的です。
ですから、Nさんは少しめずらしいケースといえるでしょう。
Nさんは、人に悟られてはいけないという気持ちが非常に強かったこともあって、社会不安障害の症状が出そうな場面を、20年間、徹底的に「回避」してこられました。
経営者という立場もあってできたことですが、回避に徹することで、かえって症状を克服する機会を逸した面もあるでしょう。
いわば、その「閉じた輪」を、開くきっかけになったのがSSRIでした。
薬の力を借りながら、あえて苦手な場面を経験していくことで、社会不安障害の改善が大きく促される場合もあります。
ぜひ、上手に薬を活用していただきたいと思います。
※参考文献:人の目が怖い「社会不安障害」を治す本 三木治 細谷紀江共著