「どうも何も考えていないようなんですが」

はじめのうちは自分が何を考えているのかをはっきりさせるのが難しいかもしれません。

そういうときには「こういう状況のときには今まで私はどういうことを考えていたのだろう?」「私はどんなことを心配しているのだろう?」と考えてみてください。

不安の最中には自分の考えをはっきりさせられないのであれば、その状況を抜け出して落ち着きを取り戻したらすぐに考えるようにしてください。

練習を積むにつれて、困難な状況にいる最中でも自分の考えを明確にし、反論できるようになってきます。

「別の考え方を思いつけません」

自分の考えから距離を置き、疑問符を付け、評価し、回答を出すという作業は我々が通常行っていることではありません。

従って、客観的な立場に立って、自分の感情に大きな影響を与えるような回答を出すのが当初は難しくても無理はありません。

初めのうち、効果的な回答をうまくみつけられないことがあってもがっかりしないでください。

テニスのレッスンを6回受けただけでウィンブルドンで優勝できるなんて思わないでしょう?

「現実的考えを心の底から信じることができません」

確信を持つ必要はありません。

現実的考えというのはこれから検証する仮設だと考えてください。

そして、あたかもそれが真であるかのように行動し、さてどうなるかを見るのです。

例えば、自分が人々の関心の中心である、という仮説を検証するには、人通りの多い通りを試しに歩いてみるのです。

人々とすれ違うときに、ちらっと視線を投げて短くアイコンタクトをとってみてください。

何か気付きますか?

「それでもまだ不安なんです」

この感情は上に述べた問題と関係しています。

恐ろしいことは何も起こりそうにないということをあなたは完全には信じていないわけですから、不安が消えなくても不思議はありません。

でも、不安を抱えながらでも対処できることをあなたは知っています。

ある程度の不安は正常な生活の一部だということもあなたは知っています。

対人関係についての合理的な見方を支持するような証拠をあなたが集めていくにつれて、そのことは次第に確信に変わっていき、従ってあなたの感じる不安は弱まっていきます。

段階的暴露プログラムはこの点で特に役に立ちます。


同じ考えが繰り返し繰り返し現れてもがっかりしないでください。

不安が一定期間続いたので、こうした考えはがっちり固まった習慣になってしまっているのです。

打破するには時間が必要です。

特定の考えが生じるのが頻繁であればあるほど、それに対して回答を出し変える機会がより多くなるというものです。

「非合理な考え方10」

次に掲げるのは論理情動療法(RET:Rational Emotive Therapy)に関するアルバート・エルスの研究および彼の著作『合理的な生き方ガイド』(1979)に基づいています。

次のように考えるのは非合理です。

●自分にとって重要だと思える人すべてから、愛されたり承認されたりしなければならない

●自分が何でもできる人間であると示さなければならず、何か重要なことができなければならない

●物事が思い通りにいかないとすぐさま、人生を恐ろしく、破局的で、ゆううつなものと考えてしまう

●あなたに害を与えたり、正しくない行いをする人は悪い奴であって、非難し、呪い、罰しなければならない

●不安を引き起こすようなことがあると、それにひどく拘泥し気が動転してしまう

●人々や物事は、実際よりもさらによいものにならなくてはいけない。
そうならないとしたらそれは失敗だ

●感情的な不幸は外部の条件から生じるものであって、自分には感情をコントロールする能力や、不安や敵意や抑うつから逃れる能力は、まったくない

●困難や状況に直面するのを避ける方が、自己規律を伴うような、報いられるところの多い行動を取るよりも容易である

●過去がすべてである。
そして、ひとたび何かが自分に影響を与えたら、それは自分の感情と行動をずっと決定し続けなければならない

●受身的で関わり合いを持たないことによって幸福を獲得できる


自分はこれらの項目のいくつかのようには考えていないと思われるかも知れません。
そうした点についてあなたの治療者と話し合うことはしばしば極めて有益です。

否定的考えにおける信念が、突如として完全に消失すると期待してはいけません。

それらはおそらく長い間にわたって存在してきたのです。

それに対して、代替的な考え方はあなたにとってまだ新しいものかもしれません。

代替的な考えに確信が持てるようになるには時間と練習を必要としますし、代替的な考えを行動で検証しなければならないのです。

※参考文献:不安障害の認知行動療法(2)社会恐怖 患者さん向けマニュアル