まず、ジャン=イヴという銀行員の男性の話を聞いてほしい。
「ある日、職場の同僚たちと一緒に、コーヒーの自動販売機のところで立ち話をしていました。
みんなのとりとめのない会話を聞きながら、ぼくは「何とかして自分も話の輪に加わらなくては・・・」と考えていました。
すると、誰かが新作ロードショーの話題を切り出しました。
ぼくはその映画をちょうど観たばかりだったので、ここぞとばかりにそのストーリーについて話し始めました。
ところがぼくが話をしている最中に、同僚のひとりがちらりと腕時計に目をやったんです・・・。
ぼくは、途端に気おくれを感じてしまい、だんだんと声が小さくなり、しどろもどろになって、みんなの目もみられなくなり、中途半端に話を終えてしまいました・・・。」
ジャン=イヴは、同僚が時間を気にするしぐさを見せた瞬間、ある考えが心に思い浮かんだ。
「ぼくはみんなを退屈させている」。
ところが、これと同じ状況で、まったく別の考え方をすることもできたはずなのだ。
たとえば、「そうか、彼にはやらなくちゃいけない仕事が残っているんだな」とか・・・。
あるいは、そんなしぐさなど気にもせずに何も考えなかった、ということもありえただろう。
ではどうして彼の場合は、不安を増長させるような考え方をあえてしてしまったのだろうか?
私達の脳は、一定の理論に従って正確にはたらくコンピュータとは違って、情報を処理する際にしばしばエラーを起こしたり、独特の癖や傾向を示したりすることがある。
そして実は、<社会不安障害><社会不安>を感じる人達の脳のはたらきには、いくつか共通の特徴が見られる。
つまり彼らの脳は、周りにあふれる情報を受け取り、意味づけをしていく過程で、だいたい似たようなことを行っているのだ。
そこでこの項では、<社会不安障害><社会不安>を感じる人の脳のはたらきはどうなっているのか、その特徴を大きく六つに分けて紹介していこう。
その1.情報を偏って選別する
<社会不安障害><社会不安>を感じる人の脳の情報選択には、偏りがあることが多い。
先の事例のジャン=イヴの場合、彼の脳は、自動販売機の周辺のあふれるさまざまな情報のうちから、同僚が時計を見るしぐさをキャッチし、そこに「ぼくはみんなを退屈させている」という意味付けをしていた。
その時、ジャン=イヴの脳が、その同僚のしぐさ以外の情報をすべて無視していることに注目してほしい。
実際は、他の同僚たちはみな、興味深げに彼の話に耳を傾けていたというのに・・・。
ある心理療法士はユーモア交じりにこんなことを言っている。《都会で車を運転する時は、赤信号と渋滞だけを気にするようにして、青信号や空いた道のことは忘れてしまいましょう。
これが、道路状況に対して確実にイライラできるもっともよい方法です。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人も、これとまったく同じことをしているのだ。
つまり、自分が話をしている時に、真剣に話を聞いてくれている人のことを見ようとせず、あくびをしている人、よそ見をしている人、難しい質問や批判をする人のことだけが気になってしまうのである。
その2.根拠のない結論を下す
<社会不安障害><社会不安>を感じる人の脳は、根拠のない結論を勝手に下してしまう傾向が強い。
一般的に、あるひとつの出来事はさまざまに解釈することが可能である。
とりわけ、その出来事に対する判断材料が不足しているとしたら、なおさらのことだろう。
たとえば、会議で発言をしている間、誰かが眉をひそめてその人のことをじっと見ていたとしても、「彼はぼくを批判しようとしているのだ」と本当に言い切れるだろうか?
もし道ですれ違った知人が挨拶をしてくれなかったとしても、「私は彼女に嫌われているんだわ」という以外の解釈はできないだろうか?
眉をひそめていたのは視力が悪いせいかもしれないし、挨拶をしてくれなかったのは単にあなたに気付かなかっただけかもしれない・・・。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人達がこういう解釈をしないのは、彼らの頭にはこういう考えが浮かばないからである。
つまり、彼らの脳は、証拠もないのに勝手な結論を下してしまっているのだ。
その3.自分のせいだと思い込む
この三つ目以降は、二つ目の「根拠のない結論を下す」ことに関連して、<社会不安障害><社会不安>を感じる人がどういう思い込みをする傾向があるかを見ていこうと思う。
まず彼らは、自分の周りで起きたことについて「よくないことが起こるのはすべて自分のせいだ」と思い込みがちである。
たとえばある男性は、レストランで起きたある出来事についてこう語っている。
「あの店のウェイターが無愛想だったのは、ぼくがオーダーを急かしたことに腹を立てたのにちがいない」。
また、ある会社員の男性は、社内会議の様子をこう語っている。
「私が営業の販売実績を報告している間、みんなまったく関心がなさそうにしていました。
きっと私の説明のしかたが悪かったのです・・・。」
ところが実際は、レストランのウェイターは誰に対しても無愛想だったのだし、会議でみんなが無関心だったのは、男性の説明のしかたが悪かったのではなく、数字の羅列そのものにうんざりしていたのだ。
その4.良いことを過小評価し、悪いことを過大評価する
さらに、<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、よいことを「たいしたことはない」と、あまりよくないことを「非常に悪い」と思い込みやすい。
たとえばある女性は、ブティックで購入した商品を翌日になって別のものに交換してもらったことについて、淡々とした口調でこう言っていた。
「ええ、運が良いことに交換してもらえたわ。
たまたま親切な店員さんに当たったのよ」。
ところが彼女は、職場で有給休暇の日にちを変更してもらえなかったことについては、このように嘆いているのである。
「私って本当にダメな人間ね。自分の権利を行使することができないっていうか、いつだって自己主張ができないのよ」。
どちらのケースも状況はほぼ同じである。
にもかかわらず彼女は、「変更を要求する」のがうまくいった時は自分の努力の賜物だとは考えないのに、うまくいかなかった時は自分の力不足のせいだと思ってしまうのだ。
よいことは誰か別の人のおかげで、悪いことは自分のせいだと思い込む。
これも<社会不安障害><社会不安>を感じる人によく見られる特徴のひとつである。
その5.たったひとつの結果をすべてだと思い込む
先の例でジャン=イヴは、あるたったひとりの同僚がちらりと時計に目をやっただけで、「ぼくはみんなを退屈させている」と思い込んでしまった。
また、先ほどの女性も、有給休暇の日にちを変更してもらえなかっただけなのに、「自分はいつだって自己主張ができない」と言っている。
このように、ものごとを極端に一般化してしまうのも、<社会不安障害><社会不安>を感じる人の特徴である。
要するに彼らは、たったひとつの出来事、たった一度の結果を、すべてだと考えてしまいがちなのだ。
だからこそ、彼らの発言には「いつも」、「決して」、「みんなが」、「誰一人として」などの言葉がたくさん出てくるのである。
その6.<オール・オア・ナッシング>と考える
<社会不安障害><社会不安>を感じる人には、ものごとをちょうどよい加減で捉えることができない人が多い。
全か悪か、成功か失敗か、100かゼロか、白か黒か・・・。
つまり、すべて<オール・オア・ナッシング>になってしまうのだ。
たとえばある舞台俳優は、公演後の観客の反応にいつも大きな不安を感じている。
「なぜって、幕が下りた途端に、観客が総立ちになって割れんばかりの拍手をしてくれなかったとしたら、今日の舞台は退屈だったということですから・・・。」
また、ある女性は、自分の性格について友人からちょっとした指摘を受けたことに、おおいに心を痛めていた。
「だって、私の性格のすべてを認めてくれてないのなら、私のことを嫌いだということでしょう?」。
彼らは、100とゼロの間の数値、白と黒の中間のグレーゾーンを一切無視してしまうのだ。
すでに述べたように、人間の脳はコンピュータほど完璧ではない(それはそれでよいこともあるのだが・・・・)。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人に限らず、私達の誰もが、脳のはたらきに独自の傾向や癖を持っている。
つまり、私達は誰でも、証拠もないのに勝手な結論を下したり、失敗を自分のせいだと思い込んだり、ものごとをおおげさにとらえたりする可能性があるのだ。
しかし<社会不安障害><社会不安>を感じる人達の場合、こうした傾向がより強く、より徹底しているところが問題になってくる。
例えば、多くの研究によって、<社会不安障害>の人達のものの見方は極端にマイナス思考であることが証明されている。
彼らは、あいまいな状況はすべてネガティブに解釈し(「みんながこっちを見て笑っている。
ぼくのことをあざ笑っているんだ・・・」)、ネガティブな状況はすべて大げさにとらえおてしまうのだ(「ぼくがしたことを批判された。ああ、もうおしまいだ・・・」)。
こうした「脳のはたらきのエラー」を発見し、改善していくことは、<社会不安障害>を克服していくのに非常に有効な方法である。
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳