ここでは、社会不安障害を持つ人の多くに共通して見られる「役割不安」を乗り越えていくために工夫できることを考えてみます。

「役割不安」というのは、社会不安障害に対する対人関係療法で焦点を当てるひとつの問題領域としてコロンビア大学のリプシッツが考えた概念ですが、本来は能力のある領域なのにリラックスできないというような特徴を意味します。

身近に批判的な人がいたりした影響で、長年の間に身につけてしまった「根拠のない不安」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

これは、社会不安障害の発症と経過に関連の深い問題領域として考えられています。

まずは、自分の対人関係をよく検討してみるところから始めます。

対人関係を検討する、と聞くと、すぐに「自分は他人から好かれない」「人と話すのが苦手」などという考えが浮かぶと思いますが、ここで言いたいことはそういうことではなくて、自分を「役割不安」から守るために身につけているパターンを検討してみるということです。

たとえば、いつも忙しそうにしている、人と一緒のときは常に携帯電話を操作している、というパターンもあるでしょう。

あるいは、人と目を合わせないようにする、できるだけ目立たないようにする、というようなものもあると思います。

その場の話に関心がなさそうなふりをする、「いい人」になって相手の言う事を何でも受け入れてしまう、というパターンもあるでしょう。

これらのパターンをよく認識した上で、そのパターンが実際の対人関係や自己肯定感にどのような影響をあたえているかを考えてみることは役に立ちます。

忙しそうにしたり、携帯ばかり操作したりしていると、他人は「社交に関心がない人なのだ」と思うでしょう。

その場の話に関心がなさそうなふりをすると、他人は「自分達と関わりを持つことに関心がないんだな」と思うでしょう。

いずれも、他人が近づくことを阻む効果があります。

また、人と目を合わせないようにする、できるだけ目立たないようにする、というようなやり方をしていると、自己肯定感をますます失っていくでしょう。

常にひとから隠れていなければならない人間だという感覚を増すからです。

「いい人」を続けることにも同じような効果があります。

「いい人」でいないと自分は好かれない、という感覚を増すのです。

実際には「いい人」でないパターンを試したことがあるわけではないので「いい人でいないと自分は好かれない」という証拠はないのですが。

社会不安障害の人のなかには、「いい人」でいるためにやたらと謝る人もいますが、反対に、絶対に謝らないという人もいます。

「負けることへの恐怖」があるのです。

本当は、ちょっとした行き違いのなかで謝るということには「負ける」というほどの意味もないのですが、自己肯定感が低く、ネガティブな評価を常に恐れている人は、「負け」に敏感なのです。

絶対に謝らないという態度は、人間関係の断絶に直接つながることもありますし、社会適応としても好ましくないと思われることが多いでしょう。

目標は、「謝る=負けを認める」という図式から抜け出して、謝ることもひとつのコミュニケーションだと思えるようになることですが、そのためには、違うレベルで人とコミュニケーションをしていくことも必要です。

「勝ち負け」以外の要素のほうが人間関係にはむしろ多いのだということを身体で覚えていくのです。

なお、患者さんのなかには、社会不安障害を発症する前の自分自身の対人関係パターンを「自己中心的だった」と振り返る人もいます。

そういう自分のやり方が他人のひんしゅくを買っていることにあるとき気付いた、自分はそれまでそんなことにも気づかず、本当に恥ずかしい人間だった、というストーリーを語る患者さんは珍しくありません。

おそらく「あるとき気付いた」というのが発症の時期なのだと思います。

そもそも社会不安障害を発症する前と言うと、小~中学生時代の対人関係のことを言っているのだと思いますが、そのころの対人関係パターンは固定的なものではなく、むしろその後の思春期で人間は他人との関係性を成熟させていくものです。

ですから、小学生時代に「わがまま」だった人など限りなく存在しています。

そういうパターンで他人とぶつかったり嫌われたりするなかで、妥協を覚えたり社会性を身につけていったりするものです。

それが思春期のひとつの重要な側面です。

ですから、自分が記憶している昔の姿がいかに「自己中心的」であろうと、「いい人」でいないと自分は嫌われる、という結論にはならないのです。

「いい人」でいないと嫌われるかどうかは、大人として生きている今、試して実感していくしかないことです。

そして、今まで患者さんとともにそのような実験をしてきた結果からは、「いい人」でいるのをやめることによって、むしろ、人との関係のなかに、考えられなかったほどの安心や満足を感じることが多いものなのです。

女性会社員のミネさんはネガティブなことが全く言えない「常に前向き」な人でした。

少しでもネガティブなことを言うと「暗い」と思われることが心配だったのです。

社会不安障害のミネさんはもともとは自分自身の性格が暗いと思っており、それを見せたら嫌われてしまうと思っていました。

だから必死で「常に前向き」にふるまっていたのです。

でも、社会不安障害のミネさんの人間関係をいろいろと振り返っていくと、「常に前向き」であることがかえって人との間に距離を作っている可能性が浮かび上がってきました。

社会不安障害のミネさんがしょくばで浮いていると特に感じるようになったのは、ミネさんの部署が新たな業務を引き受けるようになって皆が忙しくなってからでした。

皆それぞれにストレスを抱え、休憩時間などには愚痴を言っていましたが、社会不安障害のミネさんは「常に前向き」ですから、愚痴を言う事などはありえませんでした。

「ミネさんも大変だよね」などと話しかけられることがなくなり、休憩時間の会話で自分だけが孤立している感覚が強くなりました。

「常に前向き」でいることがかえって人との距離を作っているという可能性を社会不安障害のミネさんも認め、パターンを変えていくことにしました。

いろいろなやり方を考えてみましたが、そのなかで社会不安障害のミネさんがもっとも「しっくりくる」と言ったのは、たとえば「ちょっと今ストレスが溜まっているので愚痴らせてほしいんだけど」と前置きして話すやり方でした。

これなら、ストレスがたまっている今だけのことであって常時性格が暗いというわけではないことを明確にできますし、何と言っても本人が「愚痴」と自覚して話していることがわかります。

そして、本当に性格が暗い人だったらこんなに社交的な言い方はしないでしょう。

これらのポイントが、社会不安障害のミネさんにとっては受け入れやすかったのだと思います。

社会不安障害のミネさんの場合は、自分が暗い人間だと思われないように、という防御法が、かえって人との距離を作っていた例です。

そもそも暗い暗い人間だと思われたくなかったのは、人からよく思われたかったからであるはずです。

結果としては、今までの防御法は社会不安障害のミネさんにとってマイナスだったということがわかり、新しいやり方を試すことができた例でした。

※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著