今なぜ社会不安障害(SAD)か

自殺者が九年連続で三万人以上を超え、うつ病患者の急増など、こころの病気で治療を受けている患者の数は300万人に達すると推定されている今日、新たな心の病気が話題となっています。
新聞やテレビ、ラジオ、週刊誌、ネットでここ数年「社会不安障害」や「SAD」という言葉を見たり聞いたりすることが多くなりました。
新聞やテレビで「あなたは社会不安障害かもしれない」という啓発広告が流されています。
希望格差社会、不安やうつの時代と言われる不安定な今日、何か新しい心の病気が突然鳥インフルエンザのように現れたのでしょうか。
それにしても社会不安障害というのは奇妙な病名かもしれません。
テレビで紹介された医師のもとには、日本全国のあがり症に悩む人からの相談が殺到しています。
これは恥の文化に特有と言われた対人恐怖症とどこが違うのでしょうか。

最近は次々と今まで聞いたことのない奇妙な名前の心の病気が次々と登場する時代となっています。
その登場のパターンはいつも同じです。
従来性格の問題やストレスのせいとあきらめていた悩みが、実はこれまで見逃されていた心の病気かもしれませんというものです。
周囲から見るとたいしたことでないことに見えても本人にとっては非常に苦痛で、学業や仕事、人間関係など人生全般に対する悪影響は想像以上です。

一般の人を調査してみると予想以上に多くの方が病気と知らずに悩んでおり、中には落ち込んでうつ病になったり、アルコールや薬物の依存になったり、自殺を考える人もいる。
多くの人が病気と気付かずに受診せず、適切な診断や治療を受けていない。
実はこれが単なる性格やストレスの問題、気の持ちようではなく、脳の働きの異常も関与しており、カウンセリングだけでなく薬が効きますよ、というパターンです。

どうでしょう。
うつ病に限らず様々な病気の啓発はいつもこのパターンではありませんか。実は社会不安障害もこうした手法で登場した不安症のひとつなのです。
世界保健機関の定めた病名である社会(社交)恐怖の代わりに、アメリカの精神医学会の作った病名である社会不安障害(social anxiety disorder、SADはその頭文字をとった略語です)という病名が積極的にもちいられているのもキャッチコピーとしてのマーケティング的な側面が強いのです。

精神医学では従来SADと言いますと、日照時間が短くなる冬季になるとうつ状態を繰り返し起こす、特殊なタイプのうつ病である季節性感情障害(Sea-sonal affective Disorder)の略語として用いられ、現在でも使われますので注意が必要です。
ただし、最近では社会不安障害を指すSADのほうが有名になりましたので、一般にはSADといえば社会不安障害のことと考えられる時代になっています。

それにしても社会不安障害というのは誤訳といっていいかもしれません。中国では社交不安症と訳されていますが、こちらが適切な訳語でしょう。

それではなぜ今突然社会不安障害が話題になったのでしょう。
SSRIという言葉も最近耳にすることが多いのですが、これは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor)の英語名の頭文字を取った略語であり、うつ病や様々な不安障害の治療薬として用いられている薬剤の総称です。
日本では1999年にフルボキサミン(商品名ルボックス、デプロメール)、2000年にパロキセチン(商品名パキシル)、2006年にセルトラリン(商品名ジェイゾロフト)の三種類SSRIが登場し、(2008年当時)以降、エスシタロプラム(商品名:レクサプロ)が登場し、急激にその使用量が増えています。
皆さんの中にもこうした薬の名前を一度くらいは聞いたことがあるかもしれませんし、中にはすでに服用している方もあるかもしれません。

実はこうした脳のセロトニンの働きに強力に作用するSSRIはうつ病よりもむしろ、不安や恐怖感、こだわりなどに対する効果が強く、パニック障害や強迫性障害(いわゆる強迫神経症のこと)の治療薬としても発売当初から用いられていました。
2005年の秋に日本ではフルボキサミンが日本人の社会不安障害に対しても効果のあることを示し、正式な治療薬として使うことが可能となったのです。

この薬が治療薬として認められたことにより、にわかにSAD、社会不安障害というこれまで聞いたことのない心の病気の疾患啓発が大々的に行われるようになったわけです。

本サイトでは、不安やうつの治療薬の専門家としての著者が社会不安障害に対するSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の臨床試験と、その後の啓発に関与してきた経験をもとに、社会不安障害の実態や病気としての登場の歴史、症状と診断、治療の実際などを分かりやすく紹介したものでもあります。
薬を売るために病気を売っているという非難も世界中で起こっていますが、治療によって多くの方の人生が変わることも確かなのです。

本サイトでは文脈に応じて社交不安と社会不安、社会(社交)恐怖と社会不安障害、SADを同じ意味で使い分けていますのでご了承お願いします。
また多くの症例を紹介していますが、これもプライバシーを考慮して、実例をもとに作者が作ったケースであることをお断りしておきます。

※参考文献:社会不安障害 田島治著

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