人見知りと行動抑制
小さいこどもの人見知りはご存知でしょうが、行動抑制という言葉は初めて耳にする方も多いと思います。
これは白人の子どもでも二割近くに見られる性格傾向・気質で、慣れない状況での行動が抑制されてしまう物静かな性格傾向です。
行動抑制は遺伝的な影響が強く、発症の早い全般性の社会不安障害やその他の不安障害の背景となる要因として注目されています。
子どもの頃に行動抑制の傾向が顕著であった人は大人になっても新奇な状況に曝されると、偏桃体に過剰反応が生じることが脳の画像研究から示されています。
偏桃体というのは不安や恐怖反応の中枢となっている脳の部位です。
行動抑制というのは子どもの心理的な発達を研究している学者が、社会不安障害発症のリスクとなる気質のひとつとして提唱したものです。
1980年代後半にケーガンという学者が次々と論文を発表して行動抑制を紹介しています。
こうした傾向はすでによちよち歩きの時期に観察することができ、幼稚園や小学校、思春期まで続くことが長期の経過観察から示されています。
行動抑制は人間だけでなく他の動物でも見られます。
アカゲザルの子どもの二割近くに、新奇状況に対する過度の反応性や不安惹起性と行動規制がみられることが知られています。
最近の研究でも、行動抑制傾向の強い子どもでは、そうした傾向のない子どもに比べて、著しく社会不安障害の起こる率が高いことが指摘されています。
また親がなんらかの不安障害を持っていると、子どもに強い行動抑制の傾向が現れやすいことも示されています。
こうした行動抑制の背景には、そうした傾向のない子どもであれば特に脅威と感じないことでも強い恐怖感を感じてしまうような、恐怖や脅威のセンサーが過敏になっていることが推定されています。
すなわち生後間もない時期から、新しい場面や状況に曝されると、恐怖や脅威といったマイナスの感情に偏って周囲の状況のにんちがなされやすく、脳内での情報の処理のプロセスがマイナス感情面に偏りやすいことが指摘されているのです。
80年代に行われたスオミという学者による研究では、こうした行動抑制傾向を示したアカゲザルの子どもは、そうした傾向のないサルに比べて母親からの分離が遅く、単独での探索行動も少なく、仲間の猿との最初のであいにおいても内気で引きこもりがちであることが分かっています。
人間の場合と同様にこれには遺伝的な要因が強く影響していますが、生後の養育環境によって変化することも明らかにされています。
つまり、非常に面倒見のよい母ザルに育てられると、そうでない場合に比べて親離れが早く、探索行動も多くなるのです。
もちろんこうした行動抑制に類似した行動、引っ込み思案で臆病な傾向はサルだけでなく犬や猫、ネズミにも見られます。
<Gさんの例>
30代後半の主婦Gさんはまさにそんな一人です。
三人兄弟の長女であるGさんは母親に似て物心ついたときから人見知りが強く内気な性格です。
幼稚園の頃、人見知りもあって一人で遊んでいたら、先生からおとなしすぎると注意されたこともあります。
二人の兄弟もGさんと同じように内気で人見知りの強い性格です。
会社員の父親は母親と違って社交的な人でした。
両親とも厳格で小さい頃から厳しくしつけられていました。
その為心理的に逃げ場がなくなり、自分で髪の毛を引っ張って抜いたり、先のとがったもので手や頭をちくちく刺したりしていました。
自分で髪の毛を引っ張って抜いてしまうのは高校生まで続いていました。
小学校時代も先生に刺されるとわなわなと震えてしまい本を読むことができず困っていました。
父親の仕事の都合で転勤が多く、学校を変わるたびごとの紹介は悩みの種でした。
それでもなかの良い友人はいました。
高校卒業後営業の仕事に就きましたが、対人緊張が強く急に話しかけられると意識してしまい挙動不審になってしまいます。
いやなことを言われていると思うと相手の言っていることに集中できず、声がよく聞こえなくなってしまいます。
緊張すると二つのことを同時にできず、どうでもいいことなのにうそを言ってしまうこともあります。
働いていたときは電車の中でのパニックが始まり困っていました。
電車に乗ると周囲の人が気になってパニックになってしまうのです。
結婚して仕事を辞めると少し落ち着いていましたが子どもができてからは、PTAの会合などにはパニックになってしまいそうで怖くて出られません。
人前で電話もできず、落ち込みから死んでしまいたいと思ったこともたびたびありました。
このようにGさんは幼児期発症の全般性の社会不安障害でしたが、性格の問題とあきらめていました。
たまたまテレビで社会不安障害に関する番組を見てまさに自分のことと思い、受診しました。
受診した時には専業主婦でしたが、子どものPTAが悩みの種でした。
その為落ち込んでいたばかりでなく、ガスの元栓や鍵の閉め忘れが気になり何回も確認する強迫症状も強くなっていました。
治らないとあきらめていたGさんでしたが、フルボキサミンの服用を開始したところ、眠気や吐き気、倦怠感などの副作用が出たものの、二週間後には少し慣れてきてこだわりが少し緩和されたと言います。
友人と話をしていても緊張感が少し和らいだと喜びました。
三週間後にはかなり効果が強く出てあまり緊張しなくなるばかりでなく、小さなことが気にならなくなり、子どもや夫に対しても怒らなくなりました。
気分の落ち込みも消え、何回も確認していた鍵の閉め忘れも気にすることはなくなりました。
しかし、一月後にはぼーっとして眠いばかりでなく忘れっぽいと訴えるようになりました。
何事も気にならず、どうでもよくなったと言います。
本人としては人生で初めて気分が楽になったのだそうです。
二ヵ月には眠気と忘れっぽさが続くとともに感情が少しフラットになったと言います。
潔癖すぎるほど几帳面にしていた掃除もあまりしなくなり、見かねた夫から注意を受けるようになりました。
家事も手抜きになり、一日おきに家中徹底的に掃除をしていたのが一週間に一度になってしまいました。
それもかなり手抜きです。
本人としては散らかっていても気にならなくなったと言います。
子どもの授業参観にも落ち着いて参加することができ、こんなことは人生で初めてとのことでした。
このように物心ついたときから社会不安障害が始まった方でも、薬が劇的な効果を発揮することがあります。
Gさんの場合はフルボキサミンを一日75mgという比較的少ない量で服用しても眠気や倦怠感が強くでただけでなく、多くの当事者が「どうでもいい」と表現する、感情がフラットになったと感じるほどの強力な不安や恐怖、こだわりを抑える作用がみられました。そのため一日50mgに減らしたところ眠気も多少和らぎ、「どうでもいい」から「まあいいか」くらいになったと言います。
まさにこれがSSRIの不安や恐怖に悩む人に対する効果です。
すなわち脳にマイナスの感情を引き起こす情報があまり入らなくなり、くよくよと落ち込んだり気にしたりしなくなるのです。
それが薬を服用した方の多くが表現する「まあいいか」という心の状態です。
※参考文献:社会不安障害 田島治著