社会不安障害は単なる内気ではない
しかし現代社会のような自然の脅威がほとんどない環境においては、かつては合理的であった恐怖反応も、非合理的とみなされてしまうと彼らは主張しています。
これも実際に社会不安障害に悩む多くの人達に直接接して、生の声を聞いたことがないからでしょう。
多くの方が通常であれば不安や恐怖を感じなくてもいい場面で、必ず強い反応が出てしまうため悩んでいます。
ある中年の男性は電車に乗ると周囲の人の視線が異常に気になって落ち着かず目が開けていられません。
特に通学途中の女子高生などが向かい側に座ると、強い反応が出ます。
そのため十数年以上も電車に乗ることができなくなってしまいました。
そして診断基準の4番目では(1~3番目参照)
、本人が苦手とする社交場面に出るのを避けたり、たとえ出たとしても強い不安と苦痛を耐え忍んでいるというものです。
これに関しても不安の強い人であれば、そうした場面を避けるのは当然のことと批判されています。
これも実状を知らないための批判です。
先ほど紹介しましたようにまったく不安や緊張を感じる必要のない通勤電車で、強い不安緊張状態が出現し、そのため電車に乗れなくなってしまう人もいるのです。
診断基準の5番目では、恐怖場面を避けたり、そうした場面をいつも心配したり、社交不安による苦痛のために勉強や仕事、人との関わり、趣味の活動といった日常生活に著しい支障があるとしています。
これに対しても彼らは批判しています。
例えば現代社会では、仕事によっては人前で上手にしゃべることが要求されますが、それがうまくできず恐怖感を覚えるからといって病気ということにはならず、社交不安に対する苦痛の強さで、病気か病気でないかを区別することはできないのではないかと言うのです。
こうした論点から、彼らは社会不安障害というのは病気ではなくて、生まれつきの気質として社交不安が強いだけに過ぎないのではと主張しますが、これも間違いです。
社会不安障害に悩む方の半数近くは、思春期に何かのきっかけがあって発病するまでは、明るく活発で社交的だからです。
もちろん社会不安障害という病気を過剰に宣伝することによって、薬を飲むことが必要のない軽い社交不安、正常な社交不安のある人にも薬がだされてしまうリスクがあることは否定しません。
内気と社会不安障害は無関係というわけではなく、幼稚園や小学校低学年の時期に発病するタイプの方の多くが内気です。
しかし社会不安障害で最も多いタイプである15~16歳頃に発病する方の多くは内気ではなく、元来活発で社交的という人が多いようです。
こうした批判は必ずしも妥当ではなく、日常生活に支障をきたし薬による治療を必要とする方も多いのです。
※参考文献:社会不安障害 田島治著