社会不安障害の支え、理想は「ほどよい母親」――周囲の援助3
社会不安障害の人は「がんばりすぎ」にも気を付ける
前記で不安が強い人を支える時に、「本人にちょっとがんばってもらう」ことも大切だと書きました。(参照)
それといわば表裏一体のこととして、周りが思っている以上に、社会不安障害の本人ががんばりすぎてはいないか、時々気を付けてみることも大事です。
社会不安障害の人が不安を感じている時には、一度にたくさんのことをやろうとせずに、小さく段階を区切って、一つ一つ、自分が不安を感じる場面に向き合っていくことが大切です。
その時、それがその社会不安障害の人にとってどれくらい大変なことなのか、本人がどれほどがんばっているのか、周りの人にはなかなかわかりません。
たとえばパニック発作を経験したことなどから電車に乗るのが怖くなっている人は、電車に1駅乗るのはもちろん、駅の改札口に近づいたり、最寄りの駅がある方向にあるいていったりするだけで強い不安を感じることがあります。
そのような人が、今日は改札口を通って駅のプラットホームでしばらく過ごしたという時に、そのためにどれほどの努力を要したのだろうかと、ときどき思いやってみるのです。
親しい間柄であれば「もしかして今日は、すごくがんばっちゃったんじゃない?」などと、聞いてみてもいいと思います。
そして、今日できたことや、がんばったことを、一緒に喜びましょう。
一方、社会不安障害などで辛い気持ちになっている人は、目の前のことしか見えなくなっていることがよくあります。
ですから周りの誰かがちょっと長い目で振り返って「一か月前と比べて、こんなにできるようになった」などと、進歩をお互いに確かめるような言い方をすることも役に立ちます。
社会不安障害の人に完璧な手助けができなくていい
イギリスの小児科医で精神分析家のウィニコットは、子どもの成長にとって好ましい母親像として、「ほどよい母親(Good Enough Mother)」ということをいっています。
子どもに対する愛情も、いいところもほどほどにあり、失敗や手抜きなどマイナス面もそれなりにある母親、というくらいの意味です。
そういった母親に育てられる子供は、一緒に遊んだり、愛情を感じたり、母親を頼ったりしながら、一方で、ときどき母親に軽く失望する体験もしていきます。
こういった「適度な失望」は、母子関係だけでなく、さまざまな人間関係のなかで、私たちが普段よく経験していることです。
そんなに人に頼ってばかりはいられない、自分の力を伸ばしていかなければならないと体験を通して理解するのです。
社会不安障害の人の不安などつらい気持ちを抱えている人を手助けしているとき、いつでも何でも手助けできるわけではありませんし、それはいいことでもありません。
あまり手を出しすぎると、社会不安障害の人その人が自分の力を自分で育てるチャンスを減らしてしまいます。
社会不安障害の人など不安な人を援助する人にもその人の仕事や暮らしがあり、四六時中手伝えるわけではありません。
社会不安障害など不安を持つ人にはいつも適度な距離感を意識して、無理なくできる手助けを、できるときに、できる範囲で実行する。それでいいのです。
時には助けてもらえるし、頑張れと言ってくれる人もいる。
だけどときには、ちょっとアテがはずれたり、失敗したりもしながら、やっぱり自分なりにがんばっていかなきゃいけないんだなと実感していく。
そうやって本人が、体験のなかで学んでいくことによって、社会不安障害などの不安が強い人でも、ほどほどに不安を感じながらやれることが増えてきます。
ウィニコットがいった「ほどよい母親」と同様、社会不安障害など辛い気持ちでいる身近な人を支えようとするときにも、いいところもマイナス面もある「ほどよい援助者」であるほうが、本人にとって役に立つことが多いのです。
参考文献:不安症を治す 大野裕著