人間の本性は人類の登場した当時と変わらないのでしょうが、この十数年の人間を取りまく環境の変化は驚くべきものです。
ゆっくりとした時間の流れの中で限られた人とだけ接して生きるということは不可能な時代となりました。
誰もが人前で発表したり、会議に参加したりしないと生活できない時代となりました。
動物が他の個体の存在や視線に対して、不安や恐怖感を抱くのは生存に必要な警報のシステムと考えられます。
野生の生活であればこうした警報のシステムの感度が高いことはプラスになりますが、人間の社会生活においてはマイナスとなることがあります。

世間体を気にする恥の文化である日本を中心に、韓国や中国の一部でしかみられないと長らく考えられていた対人恐怖症が、社会不安障害(SAD)という普遍的な心の病としてわれわれの前に再登場しました。
実は欧米で再び社会不安障害が登場した当初は、高所恐怖症や先端恐怖症、雷恐怖症、クモ恐怖症などと社会恐怖は同列に取り扱われ、それに悩む人も少なく日常生活や人生に与える支障も少ないとかんがえられ、ほとんど専門家から注目されることもありませんでした。
実際、社会恐怖が精神医学の表舞台に登場するきっかけになったのが、スイスのロッシュという製薬会社が開発した新しいタイプの抗うつ薬であったモクロベマイドという薬のターゲットとなったためですし、その後のSSRIの登場が重要な役割を果たしているのは、すでに紹介した通りです。

今日社会不安障害は精神医学の領域における医学的なモデルの拡大と新たな疾患の創出に反対する勢力からは、単なる内気な人に薬を飲ませる陰謀として攻撃されいます。
確かに日本でもよく使われているSSRIであるパロキセチンが90年代にアメリカ市場に登場したとき、社会不安障害の疾患啓発を大々的に行ったため、内気な人に薬を飲ませる製薬会社による過剰なマーケティングだと非難されたのは事実です。

もちろんごく限られた社交場面でだけ過度の不安緊張が出現する限局型の社会不安障害の場合には、認知行動療法的な治療アプローチを主体とすべきで、効果とともにリスクもあるSSRIによる長期の治療の対象にすべきではないと考えます。

しかしながら、著者の医師のもとを訪れる全般性のタイプの社会不安障害に悩む方の苦痛や人生への悪影響は想像以上であり、精神疾患の拡大に反対する人達の主張とは異なり積極的な治療が容認されるべきではないでしょうか。

とはいえ、心の病気に対しても様々な薬物による治療が中心的な役割を果たすようになった今日、正常と異常の境界がますますわかりにくくなり、薬物関連境界侵犯とでも呼ぶべき事態がすでに起こっているのも事実です。
すなわち本来であれば薬を必要としない不安や落ち込み、人生上の悩みも医学的なモデルで定義された心の病気と診断され、あたかも身体の病気と同じように治療される時代になっています。

こうした事態を「ファルマゲドン」として警告を発する活動もすでに欧米では行われています。
ファルマとは薬ないしは製薬会社のことであり、ハルマゲドンとはみなさんもご存知の世界最終戦争のことです。
最近のうつ病や双極性障害などの気分障害と診断される患者の爆発的な増加、ADHD(注意欠陥多動性障害)やアスペルガー障害などの発達障害と診断される青少年の急増にもこうした側面があります。

著者の医師はうつ病や各種の不安障害に対する薬による専門家として、日本で初めて行われた社会不安障害に対するフルボキサミンというSSRIの臨床試験に関わって以来、数多くの社会不安障害に悩む方の相談にのり、そして直接治療を行ってきました。
長年性格の問題とあきらめて全般性の社会不安障害に悩んでいた方の多くが積極的な治療により改善し、一部の方は人生が変わったというほど大きな変化が認められました。

しかしながら社会不安障害という新しい病名の登場と治療薬の登場にはこの本で詳しく紹介したような背景があります。
怪しげな健康食品の宣伝と科学的根拠に基づいた医薬品の開発とを隔てている境界は、実はきわどいバランスの上に立っているというのが現実です。
病気を診断し薬を処方する医師の側とそれを利用し服用する側の双方が健全なコモンセンスの上に立ち、常に注意をはらわなければいけない時代に我々は生きているのです。