社会不安障害の患者さんに共通したいくつかの思考パターンのために、暴露課題の実践につぎ込んだ多大な労力から当然得られるはずの効果が減じることがあります。

これらの考え方のクセは、以下のようにまとめられます。

過小評価

例えば、「そう、私は確かに授業で質問できた。
でも他のみんなができることに比べたら情けないくらいちっぽけなことだ」あるいは、「ええ、バスには乗れたわ。でもあんまり混んでいなかったし、2つ先のバス停までしか行けなかったから、できたうちに入らないわ。
混雑する時間の急行に乗れなきゃいけないのに私にはできなくて・・・」といった考え方です。

一度に一歩前進し、その都度自分を褒めてあげましょう!

批判よりも肯定的な励ましの方がより大きな課題をもたらします。

あなたが辛抱強く小さな前進を積み重ねることができれば、最終的にはゴールにたどり着くことができます。

ビデオの再生

最近の研究は、社会不安障害の患者さんが社会的状況に対して、健常レベルの社会不安のみの人と全く異なった見方をしていることを示唆しています。

社会不安障害のない人がパーティーや社会的な集まりに出席するとき、初めは多少緊張したり自意識が高まりますが、ほんの2,3分もすれば、周りで起こっていることに対して注意がしっかりと向けられます。

とりわけ会話を交わしている人がいれば、近づいて話に聞き入り、アイコンタクトを交わします。

彼らの想起は、あたかも彼ら自身が製作したビデオをみているようなものになるでしょう。

社会不安障害の患者さんでは全く異なります。

まず第一に、そもそもから不安や自意識が、病気でない者よりも恐らく強いのです。

とりわけ、その場面についての前々からの心配(これを「予期不安」といいます)が多くある場合はなおさらです。

不幸にも、社会不安障害の多くの人にとっては、不安は増悪するのみです。

その原因は、彼らの注意が彼ら自身に注がれ続けることにある、と現在ではわかっています。

それはまるで、他者が撮影した自分の映ったビデオを見ているようなものです。

これは、ときに「自己に向けられた注意」あるいは「観察者の視点」をとることと呼ばれます。社会不安障害の患者さんは他者が捉えている自分自身の姿を思い浮かべようとします。

例えば、自分はリラックスしているように見えるか?

声が震えていないか?

なんてことだ、顔が赤くなってきた!などなど。

当然ながら、この持続的な自身に向けられた観察により、非常に注意散漫にもなります。

遅かれ早かれ、社会不安障害の患者さんは会話のある部分を聞き逃し、ことによると実際に適切な受け答えができずに当惑することもあるでしょう。

悪いことはこれだけではないとばかりに、なんとか無事に自宅に着いても、今度は「ビデオの再生」が始まります。

自分の映ったビデオを見ているかの如く、あらゆるぎこちない場面、さらしてしまったと感じている全ての不安の徴候を、何度も繰り返し再生するのです。

ビデオの再生は、しばしば「マイナス面に焦点をあてる」ことと一緒になって(「心のフィルター」を通して)見られ、肯定的な成果は見落とされます。

予定したゴールを実際には達成したのに、それを「ビデオ再生」することで失敗だったという解釈にたどりついてしまうことすら起こります。

これがかくも多くの社会不安障害の患者さんが、思い切って苦手なことをやってみたのに、それが自信を深めるどころか気力を萎えさせるような結果になったと述べる主たる理由です。

マイナス面に焦点をあてる

すべての肯定的な要素は無視され、患者さんは自分でミスしたと思い込んでそればかりに集中します。

その結果、失敗したと思い込むことになります。

非現実的な期待

多くの社会不安障害の患者さんが、あまりに多くのことを、あまりに短期間で得られると期待します。

不安の克服には時間がかかるし、それは不安が続いてきたのと同じくらいの期間かもしれません。

加えて、改善は直線的ではないことを知るのも大切です。

先週は比較的簡単にできたことが、今週は予測しなかった困難を引き起こすことに気付いたり、ときおり事実上の症状悪化を経験することは、極めてよくあることです。

マニュアルの最後に、この点について特別な章を用意しました。

※参考文献:不安障害の認知行動療法(2)社会恐怖 患者さん向けマニュアル