多くの人が抱いている信念の中には、自己を主張することを困難にするような信念があります。

これらの信念は、めったに現実に照らして検討されることはないので、神話と呼ばれています。

現実に照らして検討されたとき、それらは通常真実でないと分かります。

過度の社会不安を抱く人が自己主張するのを妨げている神話のうち、最もよくみられるのは次の2つです。

1.良い友達の神話

もしあなたが「私がそれを欲しかった訳ではないことを彼はわかっていたはずだ」とか「私がなぜそう言ったかを彼女は理解してくれないといけなかった」などと言うならば、あなたはこの神話に従っています。

あなたが本当に言っていることは「彼/彼女は私の心を読めているべきである」ということなのです。

その前提は、友達はあなたがいついかなるときも何事についてもどうかんじているか知っているべきである、というものです。

他の人々が、あなたが考えるのと同じことを重要といつも思っているわけではありません。

例えば、あなたは時間厳守は大切だと信じているかもしれません。

もし友達が約束に遅れると、あなたは「もし彼が私のことを真剣に相手にしてくれているならば、彼は時間通りに来てくれたはずだ」と言うかもしれません。

けれどもあなたの友達は、どれほどあなたのことを真剣に相手にしているかということと、時間厳守をすることとは、全く関係ないと思っているかもしれません。

時間厳守は単に彼の生活では重要でない項目かもしれません。

この場合、彼はなぜあなたが感情を損なうのか理解できないでしょう。

この種の問題を解決する最も常識的な方法は、率直に議論することです。

もちろん、いつも思い通りになるわけではないでしょう。

しかし少なくとも、あなたは友達に、あなたにとって何が大切か知らしめるでしょうし、彼らの「あなたの心を読む能力」を頼みにする必要はないでしょう。

義務の神話

「友達が私に頼み事をした時には、私が本当の友達なら、私は応じなければならない」と、もしあなたが自分に言い聞かせるのならば、あなたはこの神話を信じています。

また、あなたは多分この逆も信じているでしょう。

すなわち、あなたが友達に頼み事をしたら、その人が本当の友達なら彼あるいは彼女は応じなくてはならない、と。

もしあなたがこの神話をしんじるならば、あなたは頼み事をするのもされるのも決して快く思わないでしょう。

なぜならば、選択が可能だとは思わないだろうからです。

つまり、誰かがあなたに何かをするよう頼んだ時、あなたは断ることができないために憤慨するかもしれません。

また、あなたは頼まれた人が断ることができないと信じているから、誰にも何も頼めないでしょう。

※参考文献:不安障害の認知行動療法(2)社会恐怖 患者さん向けマニュアル