<社会不安><社会不安障害>は、何も現代に限った問題ではない。なんと、古代ギリシャの有名な長編叙事詩、ホメロスの「オデュッセイア」にもそれに関する記述が残っている。

オデュッセウスは、王との喝見に気後れを感じ、城門の前でなかに入るのをためらったというのだ。

あの勇敢な戦士でさえ、権力者を前にして気後れを感じるというのだから、私達が社長や上司の前で緊張してしまうのも無理がないことだろう。

ホメロス以降も現代に至るまで、文学作品におけるこの種の記述は枚挙に暇がない。

18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーも、著書「告白」にこんなことを書き記している。

《弟子時代、私はよく菓子や果物を買いに行った。

ところが菓子店の前にやってくると、店の女たちに笑われているような気がしてどうしても中に入れない。

果物店の前でも、そばにいる若者たちにじろじろ見られているようで、思い切って買う勇気が出ないのだ》

また、19世紀の詩人ボドレールは、友人についてこう語っている。

《私の友人の一人は、人に見られると目を伏せてしまうほど内気な人間だ。

だからカフェに入るにも、劇場で入場券を買うにも、ありったけの勇気を絞り出さなければならない》

こうしてみると<社会不安><社会不安障害>はずいぶん昔からあったということがわかる。

しかし、それが精神疾患、つまり病気として研究の対象にされるようになったのは、意外なことにごく最近のことだ。

その先駆者となったのが、20世紀初めのフランス人精神科医ピエール・ジャネである。ジャネは、1909年の著書『神経症』(邦訳は医学書院)のなかで<社会不安障害>についてつぎのように述べている。

《人が恐怖を感じるすべての状況に共通する特徴、それは、他人と相対していること、大勢の人達の前にさらされること、そして人前で何かをしなければならないことである。

それは、結婚恐怖もそうだが、教師、講演者、使用人、管理人たちがかんじている恐怖もそうだ。

これらの恐怖は、彼らが置かれた状況をどうとらえるか、その状況でそのように感じるか、によって生まれてくるのである》

そして、ジャネの指摘から1世紀後の現代、ようやく<社会不安><社会不安障害>は世間一般にしられるようになりつつあるのだ。

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳