この章では、<社会不安障害><社会不安>を<認知>という尺度から考えていこうと思う。

それでは<認知>とはいったい何なのか?

そのことに触れる前に、まずは四つの事例を順に紹介していこう。

ローラン(三十六歳、土木工事の現場監督)の場合

「ぼくは、他人との付き合いについて、あれこれ考えずにはいられないんだ。

たとえば、「彼に対してしたことは本当に正しかったのだろうか?」、「あの人はぼくのことをどう思ってるんだろう?」、「あの時やっぱりこう言っておけばよかった」、「もしぼくがこういう態度をとったら、みんなはどう思うだろうか」・・・。

我ながら、なんて面倒な人間なんだろう、とあきれることがあるよ。

でも、自分ではどうしようもないんだ。

つい、考え過ぎてしまう。

しかも悪い方へね。」

アドリーヌ(三十九歳、アパレル店員)の場合

「私、どうしても自分に自信が持てないのよ。

たとえば、ごく単純な仕事を与えられても、つい「わたしなんかにうまくできるはずないわ」と思ってしまう。

同僚が「大丈夫よ」と励ましてくれても、むしろ逆効果。

「本当は大丈夫だなんて思ってないくせに・・・」なんてひねくれて考えちゃうの。」

ブノワ(47歳、小学校教員)の場合

「ぼくは、どこにいても、何をしていても、周りの人達がみんな自分を批判しているように感じてしまうんだ。

他人の視線を感じたり、笑い声が聞こえたりしただけで、非難されたり、嘲笑されたりしているように思えてしまうんだよ。

イゼー(ニ十三歳、女子高校生)の場合

私、ちょっとしたことにすぐに脅えてしまうんです。

学校の授業で発表する時は先生やクラスメイトから反論されるのが怖いし、誰かに何かを頼んだ時に断られてしまうのも怖いし・・・。

つまり、他の人達の返事も、笑いも、沈黙もすべて怖いんです。

パターン化する思考

<社会不安障害><社会不安>は、私達がものごとをどう<認知>しているか、ということと密接に関わりあっている。

では<認知>とは何か?

これは要するに、私達が生活する上でごく自然に心の中に生れてくる<思考>、あるいは<ものの見方>のことである。

別の言い方をすれば、心の中のつぶやき、あるいは、自分自身との対話のようなものだ。

たとえば、読者のみなさんも、こんなことをふと思ったことはないだろうか?

何かをしようとした時に「うまくいかないに決まってるさ」、人前で話をする前に「きっとしどろもどろになってしまうだろう」、気になる異性と会う前に「ぼくのことをヘンな奴だと思うに決まってる」、パーティに招待された翌日に「私なんか、もう二度と招待してくれないでしょうね」、友達と議論をした翌日に「あんなこと言わなければよかった」・・・。

こうした「心のつぶやき」は、本人がその時の状況をどのようにとらえているか、ということをよく表している。

ある状況に置かれて<社会不安障害><社会不安>を強く感じた人は、<身体反応>と同じくらいすばやく、ほとんど反射的に、その状況について何らかの考えを抱く。

それはまったく無意識のうちに、自然に行われるので、本人はそうしようと努力をする必要もない。

そしてそれはたいていの場合、「そうかもしれない」という<仮定>ではなく、「そうに違いない」、「そうに決まってる」のように、多かれ少なかれ<確信>の形で心の中に現れるのだ。

さらに<社会不安障害><社会不安>を強く感じる人の場合、ある特定の考え方がパターン化してしまう傾向が強い。

たとえ事実に反していようと、いつも同じような考え方がことあるごとに意識の中に入り込んでくる。

それはまさに<思い込み>だ。

ただ、その<思い込み>は、これからこの章でみていくように非常に根が深いものなので、なかなか簡単には修正できないのである。

さて、冒頭に挙げた四つの事例を、もう一度読み返してみてほしい。<社会不安障害><社会不安>を感じる状況に置かれた時に彼らが考えたことは、すべてパターン化して<思い込み>になっているのがわかるだろう。

人間関係について考え過ぎてしまうローランも、自分に自信がないアドリーヌも、他人に批判されているように感じるブノワも、他人がこわいイゼーも、みな同様だ。

<社会不安障害><社会不安>を根本的に改善するには、こうした<思い込み>を修正し、幅広くて柔軟なものの見方ができるようになることが必要だが、それを目標としているのがまさに<認知療法>である。

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳