<社会不安障害>の人達は、ごくふつうの生活の中で、大地震に見舞われたり、飛行機のハイジャックに遭ったりするのと同レベルのストレスを感じている。

ただしその原因は、新聞配達人の視線を感じたから、というものであったりするのだが・・・。

<社会不安障害>の人達にとっては、日常のちょっとした出来事や簡単な手続きが、とてつもなく大きな試練となってしまう。

つまり前述したように、苦手な対象に対する激しい怖れ、これこそが、他の<社会不安>と<社会不安障害>を区別する基準のひとつになるのである。

ここで<社会不安障害>に悩むアンヌという女性が、治療中についていた日記の一部を抜粋して紹介しよう。

<社会不安障害>の人の胸の内を理解するのに役立つのではないかと思う。

「先日、交通事故を起こして、愛車を走行不能にしてしまった。

自動車保険を使えば無償で修理できたはずなのに、わたしはなんだかんだと言い訳をしては、車を直そうとしなかった。

壊れた車は路上に放置しておいた。

警察から撤去するよう警告を受けてもそのままにしていた。

そうこうしているうちに、車のタイヤが盗まれてしまった。

しかし、それでも私は何も対策を講じようとしなかった。

車無しの生活は不便だったので、とうとう中古車を買うことにした。

だが、そう決心はしたものの、なかなか実行に移さなかった。

家族から「そろそろどうにかしなさい」と尻を叩かれ、私はしぶしぶ中古車店を訪れた。

販売員と話をしている間、私は「早く手数料続きを終えて帰りたい」とばかり考えていた。

前の車のことについてはほとんど触れず、売ればいくらになるか尋ねようとさえしなかった。

ようやく放置車を撤去してもらう手続きをすると、私はそそくさと店を後にした。

一週間後、注文した車が納品されると言われた日に、再び中古車店を訪れた。

ところが、一時間も待たされたあげく、結局車を受け取ることはできなかった。

なのに私は、怒るどころか、「すみません」ばかり連呼していた。

前の車を撤去してもらう約束も、すっかり忘れられていた。

それでも私は、催促をしたことについて「すみません」と詫びてしまった。

それからさらに一週間後、放置車の撤去手続きの書類をもらいに店へ行った。

ところがまたしても、販売員は忘れていたと言いはり、私はそれに対して「急いでないから別にいいです」とこたえてしまった。

でも実際は、車を置きっぱなしにしている道路の管理会社から、緊急撤去勧告を言い渡されたばかりだった。

それから数日後、再び書類を取りに行った。

今回は書類はそろっていたのだが、担当者が不在だったため、いつ車を撤去してくれるか分からずじまいだった。

結局そのままなしのつぶてで、私は二週間以上の駐車違反の罰金を課せられてしまった。

しかし、私にはもうこれ以上催促する気はなかった。

もし友人から、車を撤去してくれる別の会社を紹介してもらえなかったら、きっとずっとそのままにしていただろう。」

アンヌが、社会生活を営むのにどれほど苦労しているか、おわかりいただけただろうか?

彼女は、保険金を請求する、車を修理する、中古車の売却手続きをする、放置車の撤去手続きをする、中古車を購入する、納品の催促をする、書類の催促をする、などのごくふつうの手続きを行うのに、ありったけの勇気を振り絞らなければならなかった。

彼女にとっては、ひとつひとつの作業に要するエネルギーは並大抵のものではなく、そのたびに大きなストレスを感じてしまう。

しかも、精神的なダメージを受けただけにとどまらず、保険金や車の売却金をえられなかったり、支払わなくてもいい罰金をしはらったりと、経済的にも痛い損害をうけてしまったのだ・・・。

ある日、彼女はこんなことを打ち明けてくれた。

「新聞やニュースで、「現代社会にはコミュニケーションが不在だ」ってよく言われてますよね。

あんなの大嘘ですよ。

だって、私はちまたにあふれるコミュニケーションを避けようとしていつも必死なんですから・・・。

自分に話しかけようとする人から逃げ続けるのって、本当に大変なんですよ。

だって常に周りを監視してなくしゃならないんですからね。」

<社会不安障害>の人にとって、コミュニケーションとは、相手から批判されたり、低い評価を受けたりする機会でしかない。

そしてこういう人達は、他人の評価にさらされることに極度に過敏であるため、自宅に一人きりでいる時を除くと、一時たりとも心休まる時間を過ごすことができないのだ。

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳