ここからは、認知行動療法において大切とされる三つ目のポイント、「ものの見方・考え方を変える」ことについて述べていく。
ここで紹介するのは<社会不安障害><社会不安>を感じる人の<認知>、つまり、ものの見方を改善する訓練で、いわゆる<認知療法>と呼ばれているものだ。
さて、<社会不安障害><社会不安>が、他人の評価を怖れる不安である。
他の人達にとってはごく普通の状況、たとえば「同じマンションの人と雑談を交わす」とか「商店のレジで支払いをする」時でさえ、<社会不安障害><社会不安>を強く感じる人達は、他人の評価にさらされていると思い込んでしまう。
また彼らは、苦手な状況に置かれた時の自分の身体反応、不自然な行動、ネガティブな考え方に、過剰に意識を集中してしまう傾向が強い。
手の震えに気付かれたらどうしよう、思っていることを見透かされたらどうしよう、という強い怖れにとらわれてしまうのだ。
だが、ほとんどの場合、これらはみな彼らの思い込みにすぎない。
つまり<認知療法>はこうした思い込みを修正するのを目的としたセラピーなのである。
社会不安障害の認知療法のプロセス
認知療法を行うプロセスは、大きく次の三段階に分けることができる。
第一段階―不安を感じた状況で思ったことを書きとめてもらう
まず、医師は相談者に、不安を感じる状況に置かれた時にどのようなことを思ったか、書きとめておくよう指示する。(表4-1)
表4-1不安を感じる状況で思ったことのメモ(管理職、43歳の男性のケース)
状況 | 自分の行動 | その時に思ったこと |
アパートの階段ですれ違った隣人に、「今日はいい天気ですね」と声をかけられたのに、返事ができなかった。 | しどろもどろになった。相手の言っていることがよくわからなかった。ほとんど相手の顔が見られなかった。 | 「僕はバカみたいに見えるだろう」「僕はいつだって、誰かが話しかけてくれてもすぐに返事ができないんだ」 |
社内会議で、上司を前にして発表をした。 | β遮断薬を服用したのに非常に緊張してしまった。やたらとハイテンションになった。質問されたらどうしようと心配した。出席者たちの顔が見られなかった。みんなに背を向けて、発表内容が書かれたボードのほうばかりを見ていた。 | 「僕は落ち着きがない」「僕が緊張していることに、みんな気付いただろう」 |
パーティに出席したけれど、他の人たちとあまり話ができなかった。面識のある人がほとんどいなかった。 | 自分から話を切り出せなかった。質問もできなかった。誰かから話しかけられても、困ったような顔をして、そっけない返事をしてしまった。 | 「私は面白味のない人間だ」「二度と招待してはくれないだろう」「私が緊張しているのに誰もが気付いただろう」 |
<社会不安障害><社会不安>を強く感じる人の思考の傾向は、主に三つのタイプに分けることができる。 一つ目は、「自分自身に対する思い込み」。 これは、自分の身体反応(赤面、手の震え、発汗など)や、欠点(教養がない、気の利いたことが言えない、など)を他人に気付かれてしまう、という思い込みである。 二つ目は、「他人の評価に対する思い込み」。 つまり、自分の身体反応や欠点を他人は低く評価するだろう(「無能なやつだと思われたに違いない・・・」)、と思い込むのである。 そして三つ目は、「他人の反応に対する思い込み」。これは、他人は自分を低く評価した結果、自分にとって不愉快で不都合な反応をするだろう(「自分には答えられない質問をしてくるだろう・・・」)、という思い込みである。
第二段階―相談者の思い込みを指摘する
医師は、先のメモを見ながら相談者の思い込みを指摘し、ものの見方について一緒に話し合っていく。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、客観的な「事実」と自らの「思い込み」を取り違えてしまうことが少なくない。
「私が自分のことを無能だと思うのだから、私は無能であるに違いない」とか、「私が気づまりを感じているのだから、他人にも気づかれているはずだ」と、勝手に思い込んでしまうのだ。
第三段階―<スキーマ>を明らかにし、それを修正する
<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、ある特定の状況に置かれると、心の奥で眠っていた<スキーマ>が急に活発に動き始め、強い不安をもたらす考え方をしてしまう(表4-2)
表4-2 社会不安障害、社会不安を感じる人のスキーマ
スキーマ(絶対的信念) | なぜそう考えるのか? | そのせいでどうなるか |
他人には従わなくてはならない | 他人に逆らったり、迷惑をかけたり、でしゃばったりしてはいけない。でないと仲間はずれにされてしまうから。 | 自分の意見を述べたり、頼み事をしたり、他人の依頼を断ったり、批判したりできなくなる。 |
一度取り掛かったことは最後まできちんとやり通さなければならない | 他人の目の前で、ミスをしたり失敗したりしてはいけない。でないとその結果はすべて自分に返って来るから。 | 他人の前で行うことに常に完璧さを求める。それができない場合は、そういう状況を避けてしまう。あるいは完璧に行えなかった場合は、自己評価を非常に低く下げてしまう。 |
他人には常に警戒をしなくてはならない | 他人の態度には絶えず気を配っていなければならない。でないと、重要なことを見逃してしまうから。 | 相手の視線やしぐさのなかに、自分に対する低い評価、ネガティブな意見、批判、反論などを見つけようとしてしまう。 |
常に自己を抑制しなくてはならない | 自分の感情を表に出してはならないから。 | 自分の感情が相手に気づかれたら、不利な立場に追い込まれてしまうと思い込み、なんとしても隠しておこうとする。 |
自分の感情や欠点は他人にすべてお見通しである。 | 自分の考えていること、感じていることは、すぐに相手に見透かされてしまう。そして教養や知性のなさがバレてしまうから。 | 他人に簡単に見透かされてしまうことに、後ろめたさや自己嫌悪を感じる。 |
他人はいつも自分を監視し、自分を脅かす存在である。 | 他人はいつも自分のことを監視しており、こういう弱い人間はよくないと判断して、疎外しようとしたり、攻撃しようとしたりするから。 | 他人は自分に対してつらく当たり、機会があればすぐに攻撃してくると思い込み、脅え、委縮してしまう。 |
<スキーマ>は、自らに完璧さを求めたり「~しなくてはならない」と自らを厳しく律したりする<絶対的信念>のことだが、本人はその存在に気づいていないことが多い。
そこで医師は相談者と話し合いながらこの存在を浮かび上がらせ、それを修正していくのだ。
実例―フィリップスのケース
ではここからは、実際に認知療法を行ったケースを紹介することにしよう。フィリップは二十四歳で、優秀な医者の卵だ。
インターンとしてある病院で研修を行った後、ベテラン医師の代理を務めることになったのだが・・・。
初めて会った時の状況
フィリップは、このままではとても代理医師など務まりそうにないと途方に暮れてしまい、藁をもつかむ思いで私達のクリニックを訪れた。
彼は、他人に見られながら何かを行うことができなかった。
つまり、病院で患者さんに見られながら診察を行うことも、医師会で他の医師たちの視線を集めながら発言をすることもできないわけで、彼の職業にとっては致命的な状況に陥っていたのである。
その上フィリップは、回避性の性格傾向もおおいに示していた。
他人から否定されたり批判されたりすることに極度に敏感で、そういう状況を避けようとして言い訳を探したり、口実を見つけたりするのが習慣づいていたのである。
人付き合いの少ない学生時代
フィリップは、長い間、自らのこういう状態をごく普通のことだと思っていた。
両親はものごとを初めから疑ってかかるタイプで、家族以外の人間のことを完全には信用していなかった。
そういう両親の姿を見て育ったフィリップは、それが当たり前のことだと思いこんでしまったのだ。
おまけに、幼少時代の彼は、両親と二人の兄以外に打ち解けられる相手がいなかった。
学校の同級生とも、放課後に一緒に遊んだことなどなかった。
ティーンエイジャーになってからも、こういう状況は少しも変わらなかった。
同年代の若者たちはそろって彼を失望させた。
彼の目には「薄っぺらで移り気なやつら」としか映らなかったのである。
異性に対しても、彼は常に距離を置き続けた。「ニ兎を追う者一兎も得ず、というじゃないか。まずは学業に専念しよう」。
彼は自らにそう言い聞かせて、自分のほうから女の子に声をかけたりはしなかったのだ。
彼のこういう生き方は、両親の教育方針に端を発しているものと考えられる。
彼が学業に専念していることを手放しで喜び、人付き合いに関してはまったく何のアドバイスも与えられなかったのだから・・・。
患者に接することができないインターン
フィリップは、大学の医学部では優秀な学生として通っていた。
ところが、インターンの助手として初めて実習に参加した時、思いも寄らなかった問題にぶつかった。
彼は、他の学生、医師、看護師たちの見ているなかで、血圧を測ったり、胸に聴診器を当てたり、注射を打ったりすることに、大きな恐怖を覚えたのである。
この実習期間中、彼は他の学生たちの後ろに隠れたり、さりげなくその場を離れたりして、人前で医療行為を行うことを極力避け続けた。
その次の実習の時、彼は、医療現場にほとんど出ずに済むプログラムを選択した。
当然のことながら、それは人前に出たくないがために選んだのだったが、教師や家族には「卒業試験の勉強に集中したいから」という言い訳をした。
実際、彼は卒業試験で非常に優秀な成績をおさめた。
家族は「こいつはいい医者になるぞ」と喜び、彼をおおいにねぎらった。
そんなわけで結局、彼は医療現場での実習をほとんど経験しないまま大学を卒業してしまったのだ。
そんな折、開業医をしている叔父から、「夏のバカンスで留守にする間、うちの診療所で代理を務めてくれないか?」との打診を受けた。
彼をこれを二つ返事で快諾した。
その理由は、ひとつには「自分のメンツを保つため」であり、もうひとつには「インターンを始める前に心の準備をするよいチャンスかもしれない」と思ったからである。
しかし、ベテラン医師の代理を務めるという約束は、彼の心を押しつぶすほどの大きなプレッシャーとなった。
そんな時、たまたま医学雑誌で見つけた<社会不安障害>の治療についての記事を読み、「これだ」とピンときて、クリニックを訪れたのである・・・。
結論から言うと、二年のカウンセリング期間を経て、フィリップは<社会不安障害>を克服することができた。
かなり長い時間がかかったように思われるかもしれないがこれは回避行動が見られる人にはごく普通のことである。
ただし彼の場合、生来の努力家であったことが幸いして、カウンセリングを始めてすぐに順調に進んでいく兆しが見受けられた。
では次の項で、フィリップの治療の様子を抜粋してお伝えしよう。
医師と対話をする
まず初めに、フィリップは医師と対話をしながら、これまで不安を感じる状況に置かれた時にどのようなことを思ったかを振り返っていった。
医師はフィリップの話を聞きながら、客観的な「事実」と彼の「思い込み」を整理し、わかりやすく復唱した(「その時の状況は××で、その状況についてあなたが考えたことは〇〇ですね」というように・・・)。
これは、フィリップが思ったことが必ずしも事実ではなく、あくまで推測にすぎないことにきづいてもらうためである。
医師「あなたは今、医師である叔父さんの代理を務めることに、大きな不安を感じている・・・そうですね?
フィリップ「はい、そうです」
医師「とくに、どういう状況に置かれるのが不安ですか?」
フィリップ「そうですね、もし患者さんの質問に答えられなかったら、と思うと不安を感じます」
医師「それは、たとえばどういう状況で?」
フィリップ「たとえば、これこれの薬についての説明を求められたのにその薬の名前も知らなかったとか・・・、家族の誰かが患った病気について尋ねられたのに聞いたこともない病名だったとか・・・」
医師「そういう場合、どうなると思いますか?」
フィリップ「自分がバカみたいに見えるでしょうね」
医師「バカみたいに見える、というと?」
フィリップ「きっと顔が赤くなったり、しどろもどろになったりしてしまうでしょう。
あるいは、正直に『知りませんでした』と打ち明けてしまうかもしれない・・・。
または、どうにかしてメンツを保とうと適当なことをでっち上げてしまうかもしれない。
いずれにしても、患者さんから見たらバカみたいにみえますよ」
医師「その時、あなたは心の中でどう考えますか?」
フィリップ「どう考えるか?ぼくは本当にダメな人間だ、とか、これで面目丸つぶれだ、とか・・・」
医師「面子丸つぶれ?」
フィリップ「ええ。患者さんの前で、ぼくの面目は丸つぶれです」
医師「どうして?その時、患者さんはどう思うでしょう?」
フィリップ「この人には医師としての能力がないし、医師の代理を努める資格もない。
この人はよい医者にはなれないだろう・・・」
(フィリップ、急に黙り込む。ただ、何かネガティブなことを考えている様子)
医師「なるほど。他には?」
フィリップ「もうこれからはこの人に診てもらうのはやめよう、叔父さんにもこの件はそっと耳に入れておこう、と・・・。
そうなったら、叔父はもうぼくを信頼してくれなくなるし、両親にもこのことはバレてしまうでしょうね」
医師「こういうすべてのことが、不安でしかたがないのですね?」
フィリップ「ええ、とても不安です。
こうして先生とお話ししているだけで嫌な気持ちになります。
いつもなら、この手の考えが心に浮んでも、すぐに追い払うようにしているんですが・・・」
医師「そうですか、それも悪くないですね。
でも、こういう考えにとらわれないようにするには、時に真正面から取り組んでいくことも必要です。
では、要点を繰り返します。
あなたが不安を感じるのは、患者さんからの質問に答えられない状況に置かれる時。
そして、このような状況に直面すると、あなたは『患者さんの質問に答えられないなんて、僕はダメな医者だ』、『医師としての能力がないと思われる』など、さらに不安をかきたてるようなことを考えてしまう・・。そうですね?」
フィリップ「その通りです。」
不安を感じる状況で思ったことを書きとめる
次にフィリップには、実生活で不安を感じる状況にぶつかった時、心の中で思ったこと(自動思考)を書きとめておいてもらった(表4-3)
表4-3 不安を感じる状況で思ったこと(フィリップのケース)
状況 | 不安の強さ | その時に思ったこと |
患者さんの血圧を測ろうとした時、手が震えてしまった。 | 8/10 | 「手の震えに気づかれたに違いない」「変な人だと思われた」「患者さんは、ぼくのことを血圧の測り方も知らない未熟な医師だと思い、もう信用してくれなくなるだろう」 |
ごく一般的な薬の投薬量をうっかり忘れてしまい、患者さんの目の前で、資料を取り出して調べなければならなかった。 | 5/10 | 「無知だと思われた」「それくらいのことは知っておくべきだった」「そんなことはあってはならない」「優秀な医者なら、こういうことは決してしないだろう」 |
若い女性の患者さんの胸を診察していて、顔が赤くなってしまった。 | 9/10 | 「色情狂だと思われた」「ぼくが女性に関する問題を抱えていると思ったはずだ」「彼女はこのことを自分のパートナーにも話すだろう」 |
行政機関に提出する書類の書き方が分からなかったので、別の医師に尋ねなければならなくなった。 | 8/10 | 「こんなことを聞いたら、彼に迷惑をかけてしまう」「彼も他にやることがたくさんあるだろうに、余計なことで煩わせてしまう」「ぼくはひとりで何とかすべきなのに |
ちなみにこの時点で、フィリップの代理医師としての仕事はすでに始まっていたので、かれが不安を感じた状況はおのずとその診療の現場でのことに絞られた。
不安を感じる状況での思考のしかたを変える
続けて、医師はフィリップに対して、不安を感じる状況に置かれた時にもっと別の見方をすることはできなかったか、もう一度よく考えてみるよう指示をした。
つまり、もっと視野を広げて、より柔軟な考え方、自分が楽になれるような思考のしかたを見つけ出してもらうのである。
彼にとっては、これはかなり骨の折れる作業であったようだが・・・。
これを先ほどの表4-3に付け加える形でリストアップしてもらったものが表4-4である。
表4-4 フィリップによる表4-3の追記
もっと楽になれる思考のしかたはないか? | この場合の不安の強さ |
「患者さんには気づかれなかっただろう」「ぼくの経験が浅いことは患者さんもわかってくれている」「血圧も正常だったのだから、患者さんがこれを問題にするはずがない」 | 4/10 |
「誰にでもありうることだ」「薬の種類なんて何千もあるのだから、全部覚えられるはずがない」「年長の医師が薬について詳しいのは、ぼくより仕事の経験が豊富なのだから当たり前のことだ」 | 3/10 |
「こういう状況であがってしまうのは当然のことだ」「僕が喜んでこういうことをしているわけではないと、彼女もわかってくれているはずだ」「彼女はとくに不愉快そうにはしていなかったし、診察の後も笑みを浮かべて穏やかだった」 | 7/10 |
「彼は叔父の友人だから、喜んで僕の力になってくれるはずだ」「一昨日、夜間診療のことで聞きたいことがあって彼に電話をかけたが、その時もとても感じがよかった」「この書類はふつうはあまり書かないものなので、彼に尋ねるのはやむをえないだろう」「それほど時間をとらせずに済むだろう」 | 5/10 |
不安の元凶であるスキーマを明らかにする
医師とフィリップは、これまでに作ったリストを参照しながら、彼のものの見方についてじっくりと時間をかけて話し合った。
その対話の様子を抜粋して次に紹介しよう。
医師「さて、リストアップしてもらった状況について一緒に詳しく考えていきましょう。
これによって、あなたがその状況でどうして強い不安をもたらす考え方をしてしまうのか、理解できるようになりますよ」
フィリップ「はあ・・・」
(フィリップ、半信半疑の様子)
医師「ではまず、血圧を測ろうとして手が震えてしまった、という状況について考えてみましょう(表4-3の最上段)。
あなたは患者さんに気づかれて『変な人』だと思われることを怖れている・・・。
そういえばあなたは別の状況でも、患者さんから『無知』や『色情狂』と思われることに強い不安を感じていましたね?」
フィリップ「そうですね、いつも似たようなことを考えてしまいます。
でも、なぜかそうなってしまうんですよ」
医師「では、あなたの思考の流れを順に辿ってみましょう。
血圧を測ろうとして手が震えた。
するとあなたは、『患者さんに気づかれた』と思い、そこから『変な人』とか、『医師として未熟者だと思われるのを怖れたと?」
フィリップ「ええ。まあ、そういうことです」
医師「では、もしそれが事実で、あなたの患者さんが実際にそう思ったとしたら?そうしたらあなたはどうなりますか?
フィリップ「ぼくの面目は丸つぶれです」
医師「では、もしそれも事実で、あなたの面目が丸つぶれになってしまったら?どうなりますか?
フィリップ「そうですね、患者さんの誰からも尊敬してもらえなくなるでしょう。
でも、まさかそんなことには・・・」
(フィリップ、大きくかぶりを振り、自らの言葉を取り消そうとする。医師、それを制する)
医師「ここでは、『もし』を使ったゲームを続けましょう。
では、、もしそれも事実で、患者さんの誰もがあなたを尊敬しなくなったら?どうなりますか?」
フィリップ「もし医者が患者さんから尊敬されなくなったら、医者を続けていても無駄でしょう。
先生もそれはおわかりでしょう?先生だってお医者さんなんですから・・・」
(フィリップ、けげんそう。医師、満面の笑みを浮かべ、大きく頷く)
医師「はい、いいでしょう。
それこそがあなたの一番の問題点です。
つまり、強い不安をもたらす考え方があなたのなかに生まれた経緯を辿ってみると、こうなります・・・。
『もし医療行為を行っている最中に手が震えてしまったら、変な人だとか医師として未熟だと思われ、自分の面目がつぶれてしまい、患者さんから尊敬されなくなり、医師の仕事を続けることが難しくなってしまう・・・。』
だからこそ、患者さんの前で手が震えることに、あなたは強い不安を感じるのではないですか?」
(フィリップ、顔を上気させ、やや興奮気味)
フィリップ「ええ、まったくその通りです!確かに僕は、そうやって自分にプレッシャーをかけてしまうんです。
でもこうやって考えてみると、少し思い込みが強すぎますよね。
だって、患者さんの前で手が震えただけで、医師の道を諦めなくてはならないと思うなんて・・・。
やっぱりこんなことではいけないんですね」
医師「ええ、そうです。ですから、一緒に頑張っていきましょう」
<社会不安障害><社会不安>を強く感じる人の思考の奥に<スキーマ(絶対的信念)>が潜んでいる。
医師とフィリップが行った先のような対話は、彼の心に強い不安をもたらした元凶である<スキーマ(絶対的信念)>を探り当てるために用いられる方法のひとつで、認知療法では<下向き矢印法>と呼ばれている。
一般に、<下向き矢印法>は図4-1のようにして行われる。
図4-1 下向き矢印法
「××したら、〇〇してしまう」
↓
「〇〇したら、△△になってしまう」
↓
「△△になったら、□□になってしまう」
つまり、その人の考え方の奥深くに隠れた<スキーマ>に辿り着くまで、下へ下へと探っていくやり方から<下向き矢印法>と呼ばれているのである。
<スキーマ>を突き止める方法は他にもある。
それは、フィリップに書いてもらったようなリスト(認知療法では「思考記録法」という)をフルに活用して行うやり方で、このリストを何度も繰り返し作成しながら、もっとも多く現われる考え方を見つけ出し、それらに共通する<スキーマ>をあぶりだすのである。
フィリップの場合、<下向き矢印法>を繰り返し行った結果、一番問題となっている<スキーマ>は、「自分自身のことは完璧にコントロールすべきで、人前で弱みを見せてはならない。
でないと、自分の愚かさを露呈することになる」というものだったことが明らかになった。
スキーマを修正する
さあ、フィリップの心に不安をもたらす元凶、<スキーマ(絶対的信念)>が明らかにされた。
これからはいよいよ、この<スキーマ>を変える段階に入っていく。
引き続き、医師とフィリップの対話の様子を見てみよう。
医師「もし、『自らを完璧にコントロールしなければならない』という考え方が、それほど強くあなたの心に刻まれているとしたら、そこにはなんらかの利点があるのでしょうね。
それは何だと思いますか?」
フィリップ「よくわかりません。むしろ、欠点のほうが多いですね」
医師「たとえば?」
フィリップ「そうですね、そのせいで、常にプレッシャーを感じてしまうこと。
まったく無駄で意味のないプレッシャーを・・・」
医師「なるほど、他には?」
フィリップ「ものごとを距離を置いて眺めたり、余裕をもってとらえたりできなくなること。
たとえば、『他人の血液の圧力を測るのに、自分に圧力をかけてどうするんだ?』などと、もっとユーモアをもって考えられるようになればいいな、と思うんです。
なのに、こういう考えが浮かんでくるのは、それから一週間も経ってからなんですから・・・。
それに、こんなふうにあれこれ思い悩んだところで、次からうまく対応できるようになるわけではないんです。
むしろ、『まったく自分はなんてだめな奴なんだ』という羞恥心が湧いてきて、余計がちがちになってしまう・・・。
結局、ぼくはあまりいい医者になれそうもありません。
だって、患者さんのことより自分のことばかり考えているんですから」
医師「・・・では、あなたの考え方には、かなり多くの欠点があるということですね。
しかしそれでもなお、あなたがそういう考え方をすることに、なんらかの利点は見つからないのでしょうか?」
フィリップ「そうですね・・・。
あえて挙げるなら、完璧主義なところでしょうか。
たとえば、試験などがあると、僕はかなり前からこつこつと勉強を始めます。
一夜漬けやぶっつけ本番なんてしたことがありません。
利点といえば、これもひとつの利点でしょうか?ぼくにはそのくらいしか思い浮かびませんね」
医師「要するに、利点よりも欠点のほうがずっと多いということですね。
それではやはり、こういう考え方は修正したほうがよいですよね?
フィリップ「ええ、その通りです」
<スキーマ(絶対的信念)>は、いったん心に深く刻みこまれると、そう簡単には取り除くことができない。
第一、あっけなく取り除かれるものなら、それは<絶対的信念>とは呼べないだろう。
考えようによっては、私達はこういう<信念>のおかげで、自分なりの首尾一貫した思考ができるのである。
それ自体は決して悪いことではなく、むしろ非常によいことだ。
これが問題になってくるのは、その<信念>をあらゆるものごとに当てはめようとして、少しも融通がきかなくなってしまった時なのである。
フィリップが「他人に弱みを見せてはならない」という<スキーマ>を抱くようになった原因は、小学生時代にさかのぼる。
八歳の頃、彼は親の転勤による引っ越しのため、パリから地方の学校へと転校した。
ところが、新しい学校に入るとすぐに、都会の子らしい彼の言葉遣い、ひ弱な風貌、分厚いメガネなどのせいで、他の子たちから仲間外れにされてしまったのだ。
結局彼は、同級生から嘲笑され、さげすまれながら、クラス替えをするまでの一年間を耐え抜いたのである。
そして彼は、この時の体験から、「他人は悪意を持っているものだ。だから人前で弱みを見せてはならない」という教訓を得てしまったのだ。
しかしフィリップは、医師と対話をすることで自らの<スキーマ>を見直す機会を得て、これを修正することができた。
それは次のようなものである。
元々のスキーマ:「自分自身のことは完璧にコントロールすべきで、人前で弱み(震え、赤面、無知、無能など)を見せてはならない」
修正スキーマ:「しかし、どんな状況でも常にそうであることなどできるはずがない」
修正スキーマ2:「たいていの人は、他人のちょっとした弱点や欠点には寛容でいてくれるものだ」
修正スキーマ3:「たとえ人前で弱みを見せたとしても、自分の殻に閉じこもってしまうより、むしろそのことについてオープンに話をしたほうがよい」
<スキーマ>を修正するプログラムには、もう二度とその<スキーマ>に屈することがないよう、実生活における訓練が組み込まれることが多い。
フィリップの場合もそういう訓練を行った。
たとえば彼は、ある女性の患者さんと雑談をしている時に、代理医師を務めることの不安を思い切って打ち明けてみた。
それは、「自らの弱みは決して見せない」ことを<絶対的信念>としていた彼にとっては、ありったけの勇気を振り絞らなくてはならないことだったのだが・・・。
その時、その女性はこう言ったのだ。「あなたはきっととても良いお医者さんになると思うわ。
だって、そんなにも繊細で優しい心をしているんですもの。
そういうのって、あなたのお仕事にはとても大切な資質なんじゃないかしら」。実は、まさにこの出来事こそが、彼が先の「修正スキーマ3」を作ったきっかけとなったのである。
スキーマを修正して社会不安障害を克服する、まとめ
この章では<社会不安障害><社会不安>を感じる人のものの見方(認知)を改善する認知療法について、ごく簡単に説明してきた。
こうしてざっと述べてみると、なんだかとても単純な作業のように思われるかもしれないが、ここに集められているのは認知療法のエッセンスのみである。
つまりここには、この療法のもっとも重要な部分だけが要約されているのであって、当然のことながら、本当の<認知療法>はこれほど単純でも簡単でもない。
実際には、何度も問題にぶつかって、進行が足踏み状態になってしまうことも少なくないのだ・・・。
だが、ここではこうした問題についてはとくに取り上げてこなかった。
なぜなら、これは相談者というより医師自身の問題であり、それについて取り上げることはこのサイトの主旨から離れてしまうからである。
<社会不安障害><社会不安>を改善する心理療法のプログラムにおいて、<認知療法が単独で用いられることは決してなく、<行動療法>と常にセットで行われる。
その組み合わせ方は医師によってさまざまで、双方をミックスしてひとつのセラピーを確立させる医師もいれば、行動療法の次に認知療法を行うというようにふたつを独立させて行う医師もいる。
もちろん、個人がセルフセラピーを行う場合も、基本的にやるべきことは同じである。
まず、自分自身や世の中に対して抱いている考え方やイメージ(つまり認知)について、もう一度よく考え直してみること(この章で見てきたやり方を参照してほしい)。
そしてそれと同時に、不安を感じる状況に対して、実生活のなかで勇気を出して立ち向かっていくことだ。
このふたつを行うことで、初めて私達は<社会不安障害><社会不安>を克服できるのである。
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳