社会不安障害では、不安の結果として起こるのは「回避」か「忍耐」かです。

つまり、苦しい状況を可能な限り避け、どうしても避けられない場合はかなりの無理をして耐える、ということです。

また、不安はその場で感じるだけでなく、実際の状況が起こるよりもずっと前から感じていることが多いものです。

そのような、あらかじめ感じている不安を「予期不安」と呼びますが、予期不安が強いために「きっとうまくできない」という思い込みが強化されてしまい、実際の状況よりも難しいことだと思うようになってしまいます。

社会不安障害のハルナさんは、同僚の結婚式の招待を断りました。

特に親友というわけでもなく、スピーチを頼まれていたわけでもありません。

式の間、静かに存在を消していることくらいはできそうでした。

でも、教会で行われる結婚式で、もしも花嫁のブーケが自分に飛んで来たらどうしよう、と考えたら心配になったのです。

独身である自分にブーケが飛んできて、それを受け取ってしまったら、全員の注目を浴びることになります。

きっと何か反応しなければならないでしょう。

そして自分は間違いなく恥をかくだろう、と思いました。

そのことを繰り返し考えているうちに、結婚式に出ることそのものがこわくなってしまい、結果としては断ってしまったのです。

社会不安障害のハルナさんが感じた不安(ブーケが自分に飛んで来たらどうしよう)は、妄想的なものではありません。

可能性は高くなくても、確かにありうることです。

そしてブーケを受け取ってしまったら、全員の注目を浴びることになるのも正しい予測でしょう。

恥をかくこともあるかもしれません。

同僚の結婚式に出席するにあたって、そのような可能性を考えること自体は病的なことではありません。

でも、そのことを繰り返し考えてしまい、どんどん不安になり(予期不安)、結果として結婚式に出ることが恐くなり断ってしまった、というところにハルナさんの病気があります。

同僚の結婚式に出席するということの社会的意義と、ブーケを受け取ったときに感じるであろう恥への恐怖が、本末転倒なバランスになってしまっているからです。

もちろんどんな人間でも、特に距離のある人間関係のなかでは何らかの不安を抱えながら暮らしていますし、ときにはあまりにも不安を強く感じるのでその場所を避けるというようなこともあります。

そういう正常な不安と社会不安障害の違いがどこにあるのかというと、不安がどれほどその人の生活を妨げているか、あるいはその人が不安にどれほど強い苦痛を感じているか、というところにあります。

社会不安障害になると、回避すると明らかに問題が残りそうな状況ですら避ける、というような事態も起こってきます。

結果として、回避が強すぎて事実上社会生活が送れなくなる(社会的引きこもりになる)ことも少なくありません。

どうしても避けられない状況は耐え忍ぶことになりますが、その際には、強い恐怖と「自分はだめだ」という無能感を感じ続けることになります。

「やってみたらあんがい大丈夫だった」とすっきりするわけではないのです。

通常、不安という感情は、それを引き起こす状況を繰り返し経験することによって減じてきます。

つまり、「慣れてくる」のです。

「初心を忘れて失敗した」などと言われるのもそのひとつの形でしょう。

最初の時には緊張してよく準備したのに、慣れてくると緊張すらしなくなってくる、ということなのです。

全く緊張しなくなることはないとしても、多くの人が、繰り返し体験することによって不安を減じていくものです。

でも、社会不安障害になると、繰り返しによって不安が減じるということはあまりありません。

むしろ、繰り返しによってますます不安に焦点が当たっていくようなこともあります。

そこにこの病気のひとつの特徴があると言えます。

不安そのものが不安になる、ということもその大きな理由です。

※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著