社会不安障害の人の対人関係の本質には、「ネガティブな評価への恐怖」という特徴があります。

もちろんネガティブな評価が好きな人などいないでしょうが、社会不安障害の人の対人関係は、「いかにしてネガティブな評価を避けるか」というテーマを中心に回っていると言っても過言ではありません。

ですから、対人関係の形としては、「人とのかかわりを避ける」「自分がネガティブな評価をされないように常に努力する」というスタイルが中心になります。後者の場合、いわゆる「いい人」を必死で演じるのですが、自己主張をすることもできないし、正当な不快感を表現することもできません。

自己主張をしたり不快感を表現したりすることがなければ、それらが正当なものであるということを確認する機会も得られないため、自己肯定感はさらに低下します。

そして、その結果としてさらにネガティブな評価を恐れる、という悪循環にはまっていくことになります。

また、人とのかかわりを避け、かかわるとしても表面的な「いい人」に留まって本質的な自己開示をしないため、親しい関係を作ることは事実上不可能になります。

自己開示をしないので人と親しくなれないのですが、「親しい関係が作れない」という事実だけを見て「自分はやはり人から好かれないのだ」と思い込んでいる人も多いです。

そして、「好かれない自分」を知られるとますますいやがられてしまうだろうと思い、自己開示をますますしなくなります。

ここにもやはり悪循環があります。

本来は安全確保のためにとったはずの戦略が、結果としては自分の安全を脅かすことになっているのです。

人とのかかわりの避け方にはさまざまな形がありますが、たとえばまわりに人がいるときに常に携帯電話を操作している、などという形をとることもあります。

何らかの「やること」があれば、人とかかわっていないことがそれほど目立たなくなるからです。

いつでも忙しそうにしている、というのもそのひとつの形である場合があります。

試験など、他人に評価されるような機会を恐がることも多いです。

試験を避けたり授業を避けたりする結果として、思ったように成績が上がらないことがあります。

逆に、対人関係を避ける結果として勉強だけに没頭し、成績が良いという人もいます。

仕事においても同様で、対人関係を避けることがマイナスの評価につながることが多いのですが、職種によってはむしろ仕事に没頭して成果が上がることもあります。

そうは言っても、人付き合いを全くしないですむ仕事などほとんどありませんので、どこかの時点で躓くことが多いのです。

たとえば、研究者として黙々と研究して成功したけれども、その結果として教授になって教室を代表して社交をしたり教室員の面倒を見たりしなければならない立場になると、仕事の性質が全く変わってしまいます。

より重症な例では、学校・仕事・友達付き合いなど社会生活そのものから引きこもってしまうこともありますし(社会的引きこもり)、大変問題のある人間関係から逃れずにいることもあります。

相手から虐待されているとしても、その相手と別れると新しい人間関係を作らなければならなくなるからです。

自分の人権が侵害されていても社会不安に向き合うよりはましだというのが社会不安障害の人のバランス感覚なのです。

どれほどつらい症状であるかが理解できると思います。

ネガティブな評価を避けることが生活の中心テーマになってしまう社会不安障害では当然のことだとも言えますが、自分の不安症状について親しい人にすら伝えていないことが多いものです。

中学時代に発症した社会不安障害を持つある男性の母親は、彼にとって唯一の親しい人でしたが、その母親ですら息子の社会不安障害について打ち明けられたのは発症後十年もたってからでした。

もともとネガティブな評価を恐れ、自分の社会不安を「おかしい」と感じている人達にとって、それを他人に打ち明けるというのは大変ハードルが高いことなのです。

※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著