社会不安障害は、不安に対するセンサーがずれてしまっている状態です。

本来は危険でない状態なのに「危険」というふうに感じてしまい、一連の反応が起こってしまうのです。

このセンサーを調整していけば、もっと多くの状況でリラックスできるようになってきます。

では、どのようにして調整すればよいのでしょうか。

おそらく今までに「これは不安を感じなくてもよい状況のはず」と自分に言い聞かせる、というようなことは試してこられているでしょう。

そして、そういうやり方はあまりうまくいってこなかったと思います。

なぜならば、そうやって考えれば考えるほど不安に意識が集中してしまいますし、不安を感じる自分がおかしいという気持ちが強まってしまうからです。

センサーを調整するための第一歩は、逆説的なようですが、自分の感じ方を肯定するということです。

まずはそう感じていることが現実なのだと受け入れるところからしか、変化は始まりません。

自分の感じ方がおかしいと思っている限り、現実を否定することに膨大なエネルギーを使ってしまい、変化に向けてのエネルギーが残らなくなってしまいます。

また、能動的な変化を起こすためには、ある程度の自己肯定感が必要です。

自分の感じ方がおかしいと自分を責めていると、能動的な変化を起こすために必要な自己肯定感も育てることができません。

社会不安障害の方のひとつの特徴として、自分の感情を肯定できないということがあります。

たとえば、人に振り回されたようなときに、本当のところは不愉快に感じているのに、それを相手に伝えないどころか、自分でもそういう感情を押し殺しているようなことがあるのです。

これは病気の特徴を考えれば不思議のない話で、人からのネガティブな評価を避けようとしているときに、相手に対して自分のほうからネガティブな気持ちを持つということは、わざわざ自分を危険にさらすことになるからです。

でも、どれほど否認していても、人間である限り、不愉快な状況においては不愉快になります。

感情には意味があります。

不愉快な気持ちになるから、その状況が自分にとってよくないということがわかるのです。

まずは自分がどんな気持ちになっているのかを認識することから始めましょう。

自分の気持ちを認識するには、ある程度の勇気が必要です。

社会不安障害の人と何かについて話そうとしても、「もうそのことはどうでもいいんです」「気にしていませんから」と拒まれることが少なくありません。

なぜそういうふうになるのかというと、自分の本音を打ち明けると、ネガティブな評価を受けたときの傷がそれだけ大きくなることが恐いからです。

防衛した鎧を攻撃されても致命傷にはならないけれども、むき出しになった自己を攻撃されたら命にかかわる、と考えるのです。

もちろんそれは全くの間違いではありませんし、どんな人にも気持ちを打ち明けましょうと言っているわけではありません。

なかには、本当に悪意を持って批判してくる人もいるかもしれません。

身近に批判的な人がいたというような環境で育ってきた人の場合には、実際に、気持ちを打ち明けたら批判された、という経験をしてきたのだと思います。

しかし、安心できる人間関係のなかで気持ちを打ち明けて肯定してもらうことの効果ははかり知れません。

安心できる治療関係は、よい出発点になるでしょう。

治療者が自分の気持ちを肯定してくれたら、少しずつ、それ以外の人にも話してみる気になっていくものです。

そして、治療者がそれを支えてくれます。

ここで知っておいていただきたいのは、「不適切な気持ちなどない」ということです。

どんな気持ちであれ、感じた以上は適切なのです。

でも、批判的な人が身近にいたりした影響で、「気持ちには適切なものと不適切なものがある」という間違った考えをすりこまれ、さらには、「自分が感じる気持ちは基本的に不適切だ」というふうに考えるようになってしまったのです。

「感じた以上は適切」というのは、社会不安障害のような病気で、状況の意味づけを知るセンサーがずれてしまっている場合ですら正しいことです。

社会不安障害という病気にかかっているという条件を考慮すれば、やはり適切な感情なのです。

自分の感じ方が不適切だと思ったときには、「それが別の人の気持ちだったら」ということを考えてみると役に立ちます。

たとえば、次のオウギさんのケースです。

オウギさんは、社会不安障害の人の自助グループに参加してみたのですが、そこでも疎外感を覚え、落ち込んでいました。

オウギ(社会不安障害の患者さん):自分は本当に社会性がないな、と思って・・・。

医師:それを強く感じられたのはどんなときですか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):基本的にはいつもそう思っているのですが・・・同じ病気の人の集まりですら、溶けこめないんですから。

医師:どんな状況だったんですか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・5人のグループだったんですけど、私だけが、初めてだったみたいで・・・ずっと私以外の4人でしゃべっているんですよね。
私の知らないお医者さんの名前とかも出てきて、本当に入れないんです。
何だか有名な人らしいんですけど、そんなことも知らない私って本当にダメだな、と思って・・・。

医師:4人の人達は、オウギさんが話しに入れるようにしてくれなかったんですか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・私なんかを話に入れたくなかったんだと思います。私と話してもつまらないですから。

医師:オウギさんが古いメンバーの立場だったとしても、新しく入った人に対してそんな態度をとると思いますか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・?

医師:初めてグループに来た人を放っておいて、古いメンバーだけで話をしたりしますか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・ああ、それはしないと思います。
初めての時って緊張していると思うので、何とか話に入れるように考えると思います。

医師:そうですよね。
普通、そうしますよね。
そうやって考えると、オウギさんが受けた扱いは結構ひどいと思いませんか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・はあ。でも私はやっぱりつまらないですから・・・。

医師:オウギさんは、この人はつまらなそうだなと思ったら、初めての人が話しに入れないようにしてしまうんですか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・いえ・・・そんな、私は人のことをつまらなそうだなんて偉そうなことを思いませんから・・・。

医師:そうやって考えると、ますますひどいですよね。
その状況では誰でも嫌な気分いなるのではないですか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):・・・そうなんでしょうか。

医師:では、オウギさんが古いメンバーだとして、新しく入った人がいるのに全く話に入れてあげずに自分達の話しばかりしていて、新しいメンバーの人がいやな思いをしたとしたら、その人は社会性がないと思いますか?

オウギ(社会不安障害の患者さん):いえ、思いません。
いやな思いをして当然だと思います。

オウギさんはその状況に対して抱いた不快感を、「自分に社会性いがないせいだ」というふうに解釈していました。

でも、こうやって立場をひっくり返して考えてみると、自分だったらしそうにないひどい扱いを受けていたことがだんだんとわかってきたのです。

もちろん社会不安障害という病気にかかっている限り、「でも、それはじぶんだから受けた扱いなのだ」という気持ちを拭いきることはできないと思いますが、自分が逆の立場だったらどうだろう、という視点を持つことは自分の気持ちを肯定していくためのよいトレーニングになります。

そして、「自分の問題(自分がおかしいからそのような扱いをうけるのだ)」とだけとらえるのではなく、「相手の問題(そのような扱いをするなんて、相手にも問題があるのではないだろうか)」としてとらえるという視点も養うことができます。

※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著