社会不安障害の目立ちたがり屋だった学童期

竹内さん(仮名)は、小学生時代、自分から立候補してクラス委員や運動会のキャプテンを務めるなど、とても積極的で目立ちたがり屋な生徒でした。

将来の夢は政治家かアナウンサーで、当時から思ったことをはっきりと言う性格だったようです。

中学に上がった竹内さんは、小学生時代と変わらず、生徒会や放送委員を務めて充実した毎日を送っていました。

また、はっきりと物を言う性格も相変わらずで、生徒会の先輩に対しても物おじせずに意見を言ってしまい、小さなトラブルになることもありました。

そんなある日、生徒会の全校集会で発言した内容や態度が原因で、先輩から体育館裏に呼び出されました。

いつもならちょっとしたトラブルで終わっていたのですが、このときは「1年の分際で生意気だ!」とボコボコに殴られてしまったのです。

この事件をきっかけに、彼は人前ではどもってうまく話せなくなりました。

また、手には大量の汗をかき、激しい動悸もするようになったのです。

ただし、家族の前では普通にしゃべることができます。

「他人の前」が怖くなってしまったのです。

社会不安障害の「できない人」の評価に、出世競争から早々に脱落

以来、本来の目立ちたがり屋は鳴りを潜め、どちらかといえば引っ込み思案な生徒になりました。

それでも仲の良い同級生もでき、大きな問題もなく、中学・高校とそれなりに楽しい学生生活を送りました。

成績はとても良かったため、都内の名門私立大学政経学部に現役で合格し、4年で難なく卒業します。

その後は司法試験を受け続けたのですが、なかなか合格できずにいました。

30歳になった竹内さんは、司法試験合格の夢をあきらめ、生活のためにも就職します。

ところが、ここで壁にぶつかります。

人前が苦手な竹内さんは、思うように職場で能力を発揮できなかったのです。

まず、大勢の前でのプレゼンがどもってしまってうまくできません。

上司の前にいるだけでも汗が噴き出して動悸がします。

おかげで社内の評判は低く、「デキない人」という烙印を押されてしまいました。

早々に出世競争から脱落し、居場所のない社会不安障害の竹内さんは、転職を余儀なくされます。

悩んだ末、次に選んだのは学習塾での講師の仕事でした。

しかし、講師も人前に出る仕事です。

人前が苦手な社会不安障害の竹内さんには不向きに思われましたが、生徒の前ではどもることも動悸がすることもありませんでした。

それは、年下の生徒たちは「怖い」という対象ではなかったからです。

こうして講師生活が順調に始まりましたが、やはり壁にぶつかります。

まず、父兄を前にすると、どもってしまって声が出なくなります。

そのため、父兄からの評価がよくありません。

また上司が授業を見に来ると、どもりはさらにひどくなり、全く授業になりませんでした。

本来の力を全く発揮できなくなってしまう社会不安障害の竹内さんの評価は、当然低いものです。

次第に年収や社会的地位にも影響が表れ、出勤自体が苦痛になってしまったのです。

SSRIによる治療により劇的に改善した社会不安障害

このままでいいのだろうかと思い悩んでいた竹内さんは、ある日偶然、「あがり症は社会不安障害という病であり、治療すれば治る」ということを知ります。

そして、「自分を変えたい」と思い立った竹内さんは、クリニックを受診します。

それはまさに、藁にもすがる思いでした。

当時はまだ社会不安障害の治験が始まったところだったので、竹内さんにはそれに参加してもらうことになりました。

まず、社会不安障害の評価尺度であるLSAS-Jをやってもらいました。

結果は89点。

90点以上で社会生活にも大きな支障をきたしている重度の社会不安障害と評価されるので、89点というのはかなり高い数値です。

さっそく社会不安障害の治療が始まりました。

ただし治験では、プラセボという偽薬を2週間処方した後、本来の薬を処方して効果を見ます。

これは、薬がきちんと効果を発揮しているか見極めるために必要なプロセスで、本人には秘密にされます。

初診時(マイナス2週)にプラセボ薬を処方された社会不安障害の竹内さんは、1週間後(マイナス1週)にはLSAS-Jが68点に下がりました。

これは、薬に対する期待感と、医師との面談によって生じた気持ちの変化が影響したためと考えられます。

さらに1週間後(0週)には61点まで下がっていました。

ここから二重盲検期(SSRIとプラセボのどちらかが処方されているか治療者にも分からない時期)の投薬がスタートです。

すると処方2週間で46点、4週間で40点と、みるみる効果が表われました。

6週間後には境界線の30点を下回る24点という結果になったのです。

このころになると、竹内さんにも変化が表れます。

職場に出勤するのが楽しくなってきたというのです。

8週間後には、職場で電話に出るのが楽しいと、笑顔で話してくれるようになりました。

治験終了の12週間後にはLSAS-Jは30点。

初診時に見られたどもりもなく、手の発汗や動悸もほとんどないなど、症状の改善は著明で、竹内さん自身もその効果を大いに実感していました。

臨床試験終了後、竹内さんにはそのまま続く長期試験(実薬SSRIが処方される)

にも参加していただき、症状は見事に改善しました。

治験は大成功に終わったのです。

ただし、発症が中学時代と罹病期間が長い竹内さんの治療は、治験後も続けられました。

社会不安障害を克服後、夢であった政治家の道に

その後3年間服薬を続けた竹内さんは、治療とともに人前でのどもりや手の発汗、動悸といった、長年苦しめられた症状が完全に消失し、元来の目立ちたがり屋で人前で話をすることが大好きな性格に戻りつつありました。

そこで彼は一念発起して転職します。

転職先は、代議士事務所でした。

竹内さんは議員秘書になったのです。

そしてある診察時、「実はいま、次の市議会議員選挙に出馬する準備を進めているんです」という報告を受けます。

竹内さんは、小学校時代に思い描いていた夢の政治家という道に、再び向かい始めたのです。

驚いたのは、街頭演説やビラ配りができるまでに回復したということでした。

あれから2年たち、竹内さんはいま、市議会議員として活躍しています。

ただし、いまでもクリニックを定期的に受診し、処方箋を受け取っています。

といっても毎日服薬しているわけではありません。

討論会や講演会など、人前に出る重要な仕事の前日に、必要であれば飲む、というスタイルになっています。

最近では、飲まないまま重要な場面に挑めることが増えてきているようです。

それでもSSRIの処方を受けているのは、「SSRIを持っていれば緊張する場面でも大丈夫。乗り越えられる」というお守りのような意味合いがあるようです。

竹内さんはSSRIにより劇的に症状が改善し、人生が大きく変化しました。

その信頼から、「SSRIを持っている」という安心感だけで、症状が抑えられるようになったのです。

※参考文献:あがり症のあなたは<社交不安障害>という病気。でも治せます! 渡部芳徳著