社会不安障害について、日本では対人恐怖症として長年にわたる臨床的な研究が積み重ねられ、「対人恐怖」という言葉は日常的な用語としても広く一般に認識されています。
そしてまた、精神障害の分類と診断の手引き第3版(DSM-Ⅲ)以降の社会恐怖(social phobia)で提唱された診断分類との異同も活発に議論されてきました。
その詳細は本書の他の項目に譲るが、今後も検討されつづけられるものと思われます。
ともあれ社会不安障害について、
1.文化特異性の影響は無視できないものの、日本でのみ出現するわけではないこと
2.生涯有病率は10%前後とする報告が多く、少なくとも「まれな疾患」とよぶのは不適切といってよいこと、
3.生物学的な基盤が存在するであろうこと、
の3点については異論も少ないと思われます。
しかし、精神科を受診して社会不安障害と診断された時点でこういった知識をもっている者はいないであろうし、そこでは当然医師の側からの説明が求められます。
ここで述べるまでもなく、疾患についての説明と治療の合意は十分におこなわれなくてはならないのであるが、かぎられた診療時間のなかで十分な理解を得るためにはある程度の工夫が必要です。
さらに対人恐怖症という用語は日常語として患者さんの側にも一定のイメージがすでに形づくられていることも、むしろ正確な理解を得るうえで難しくしている一因になっています。
ある医師は社会不安障害を専門とする立場にはなく、社会不安障害の患者さんとの治療体験は一般的な外来診療のなかで偶然に出会ったものにかぎられています。
一方で統合失調症の患者さんや感情障害の患者さんに対しておこなう心理教育(psycho-education)の機会には比較的恵まれた環境にいることもあり、統合失調症の患者さんや感情障害の患者さんへの心理教育をおこなう経験から学んだ治療上で有益な技法や原則が、かぎられた経験からではあるが社会不安障害においても多くの点で共通すると感じました。
そこでここでは、心理教育的な観点を中心として社会不安障害の患者さんの治療を進めるうえで有用と思われる患者さんや家族への説明のポイントについて述べることとしたいと思います。
社会不安障害の患者さんのセルフイメージ
社会不安障害の患者さんの多くは、その対人場面に強く意識される緊張や恥をかくことを恐れるという「症状」を自身の「性格」として認識しています。
したがって、治療に訪れる動機は「病気ではないか?」というものはむしろまれであり、「性格を変えたい」「緊張しないようになりたい」といった性格矯正の意味合いをもっています。
そのためある種の民間療法や宗教、あるいは自己啓発セミナーに救いを求めることが多いのが実情です。
また、多くの患者さんはこういった問題をかかえるのは自分一人であるか、きわめて少数であると決めつけていることが少なくありません。
こういった自身の問題を性格のせいと考えたり、まれな問題と考えることで周囲にも理解してもらえないと感じてしまう傾向は、何も社会不安障害にかぎったことではありません。
むしろ精神科領域の疾患のほとんどでみとめられるものと考えるほうが実際的でさえあるようにも思われます。
とはいえ、社会不安障害の患者さんの86.1%で著名な自己価値観(selfesteem)の低下が認められたとする報告もあり、社会不安障害の患者さんがいだいているセルフイメージの低さは看過できないものがあります。
また、このことはうつ病の合併がない社会不安障害の患者さんにあっても9.8%で希死念慮をもつとされることともおそらく無関係ではないでしょう。
ある医師が治療を経験した症例では、一般的な就労を立派にこなし、家族の評価も決して低くないような場合でも「自分は性格が弱い」「仕事でも家庭でも自信が持てない」との低い自己評価を語ることができない状況に特異的に意識され、しかも他の生活上の能力は障害されにくいという社会不安障害の特徴を考えるときにむしろ顕著となるのかもしれないのです。
多忙な外来場面では、日常的に幻覚・妄想や抑うつ気分、さらに自殺企図の危険に苦しめられている統合失調症の患者さんや感情障害の患者さんが多くを占めるなかに混じるようにして社会不安障害の患者さんが現れるのが一般的でしょう。
その際には生活障害の程度を統合失調症の患者さんや感情障害の患者さんにくらべて軽く見積もってしまう危険性があることを十分に意識しておく必要があるように思われます。
※参考文献:社会不安障害治療のストラテジー 小山司著