現在、社会不安障害の治療法は、薬物療法と認知行動療法とに大別されます。

とくに近年、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の有効性が認められて以来、この障害に対する治療に関心が高まりつつあります。

一方、日本では従来、社会不安障害と症候学的に重なり合う対人恐怖症について、その精神病理学的理解と治療経験が蓄積されてきました。

なかでも日本独自の精神療法である森田療法は、赤面恐怖に代表される対人恐怖症をその主要な適応の一つとしてきました。

したがって、わが国の大方の臨床家は、社会不安障害の治療にあたっては従来の対人恐怖症に対する治療的アプローチを援用しつつ、SSRIを試みているのではないかと想像されます。

実際、一口に社会不安障害といっても全般性(generalized)と非全般性(non-generalized)では薬物の選択基準と使用法が多少異なるし、重症度、経過、併発する精神障害の有無などによって、心理社会的治療の併用を含めて治療法を工夫する必要が出てきます。

以上をふまえて、ここでは臨床的に病態水準が異なると考えられる社会不安障害に対する治療経験を紹介し、この障害の治療について著者の意見を述べてみたいと思います。

なお症例の記載にあたってはプライバシーの保護に関して十分に留意しました。

社会不安障害の症例提示

1.症例A”病前の社会適応が良好な症例”

53歳、男性、

病歴:高校卒業後、資材製造工場に勤め、現在に至っている。

性格は、責任感が強く他人の面倒もよくみるので、職場でも慕われてきました。

これまで対人関係で悩んだことはない。

51歳時、工場長に昇進。

朝の朝礼で大勢の従業員を前に訓示を述べる際に異常に緊張し、頭がカーッとなってしまいました。

それ以来、社内会議で発言するときや取引先と電話で話すときに動悸を感じるようになり、うまく話せないのではないかと予期不安が生じるようになりました。

とくに初対面で複数の人前で話すことが苦手である。

このため、宴席でのスピーチを頼まれても断るようになりました。

やむを得ず人前で話さざるを得ない際の前日は、気がかりでなかなか寝付けないといいます。

家族によれば、もともと患者さんは「あがり症」であったといいます。

昇進したことを後悔し、辞職すら考えました。

最近は気分が沈んで趣味にも興味がわかず、休日でも他人に会うことがおっくうに感じるようです。

しかし、工場は皆勤しており、業績も下がってはいません。

新聞記事で社会不安障害のことを知り、精神科外来を訪れました。

初診時所見:温厚そうな紳士。

初対面で少々緊張しているが、礼儀正しく丁寧に応対します。

明らかな抑うつ感は感じられません。

Liebowitz Social Anxiety Scale 日本語版(LSAS-J)の総スコアは65点。

「あまり知らない人に不賛成であるという」
「パーティーを主催する」の項目が非常に強く不安を感じ、かつほとんど回避すると回答しました。

「観衆の前で何か行為をしたり話をする」「人々の注目を浴びる」「会議で意見を言う」ことにも非常に強い不安を感じていました。

治療経過:治療法の選択について患者さんと話し合った結果、薬物療法を希望したので、SSRIであるフルボキサミンの投与を行いました。

既往症に胃十二指腸潰瘍があったため、消火器系副作用の併発を予防するためにフルボキサミン25mg/日ずつ漸増し、6週までに最高150mg/日に達しました。

服薬開始後、吐気や下痢などの副作用の出現はありませんでした。

投与開始2週目ごろから会議前の予期不安が軽くなっており、発言するとき、緊張せずに済みました。

6週目になると朝礼の際に以前ほどは緊張していないことに気付きました。

この頃までに体調もよくなったように感じてきました。

家庭でも明るさが戻ったと評価されました。

10週目には急に取引先と重要な用件で会合をもたなければならなくなったが、無事に会合をおえた後で前日緊張していなかったことを思い出しました。

最近の患者さんにはなかったことで、かなり自信が得られました。

10週目までにLSAS-J上50%以上の改善が認められました。

はっきりと不安を感じるのは「観衆の前で何か行為をしたり話をする」「パーティーを主催する」のみであり、後者のみしばしば回避すると回答しました。

事実、一時遠ざけていた宴席にも顔を出して挨拶するようになりました。

11週目以降はフルボキサミン75mg/日に減薬したが、症状の改善は維持されました。

14週目頃は、忙しくて服薬をときどき忘れるがとくに困ることはないということでした。

したがって、以後は適宜減薬することにし、16週目まででいったん治療を終結しました。

ところが、治療終結より半年ほど経った頃、患者は再診しました。

仕事のうえで心労が増えたことをきっかけに、今度は漠然とした不安、緊張感を感じるようになり、易疲労感や不眠も伴うようになったといいます。

出勤がおっくうになり、対人緊張が再発するのではないかと不安になりました。

再びフルボキサミン75mg/日を内服してもらい、ほどなく症状は改善しました。

・考察

本症例では、不安を感じる状況は比較的限局しており、非全般性社会不安障害と診断されました。

一般に非全般性では、不安状況への曝露に際してのみ高力価ベンゾジアゼピン系薬物(クロナゼパム、ブロマゼパムなど)やβ遮断薬(プロプラノロール)による対処が勧められます。

しかし、本症例は慢性化しており、明らかな大うつ病の併発は認めないものの軽い抑うつ症状を伴っていたので、SSRIを選択しました。

フルボキサミンに対する反応は良好で、2週間以内に自覚的症状の改善が認められ、10週目までに対人場面における不安症状のほとんどが軽減していました。

自分でも緊張することを気づかぬままに行動が達成されたことが自信となって、以後、必ずしも服薬を必要とせずとも不安状況への曝露は可能でした。

フルボキサミンは最高150mg/日が投与されたが、小用量から漸増していったので消化器症状その他の副作用の併発も観察されませんでした。

本症例のように、もともと社会的なスキルが成熟しており病前の社会適応が良好であって、かつ誘因が比較的明瞭な症例では、SSRIであれベンゾジアゼピン系薬物であれ、薬物療法が奏効しやすいです。

重篤な抑うつ症状を伴っていなければ、認知行動療法も有効です。

薬物療法によってある程度症状が軽減すると、患者さんの不安状況の認知パターンにも改善がみられ、必ずしも服薬せずに適切な対処行動をとれるようになります。

全般性であっても、本質的に健康度の高い症例では、いくつかの不安状況への対処行動が可能になってくると、症状の改善に汎化を生じるのが普通です。

なお、寛解後も心理的なストレスが加重されると社会不安障害が再発することがあるが、以前の治癒体験が学習されており、多くは短期間に回復します。

症例B”社会的スキルが未成熟な青年期症例”

19歳、男性。

病歴:中学校までは明朗闊達な性格で、級友からも頼りにされ、クラス委員も務めました。

中学3年生頃、友人から「話す時に目を合わせないね」と言われたことをきっかけに、自分が対人場面で緊張しやすいことに気付きました。

以来、学校ではつねに周囲から注視されているような気がして強く緊張するようになりました。

校内の集会で生徒の真ん中に座って話を聞いていたところ、気分が悪くなり、嘔吐しそうになったので、以後は必ず後ろの席に座るようにしました。

高校に進学するが、通学時の混雑するバスのなかで悪心、動悸、発汗などの症状が出現したために、不登校がちとなりました。

出席日数が足りず、1年で高校は退学しました。

大学受験資格を取得するために予備校に通いはじめましたが、試験のときにも同様の症状が出現しあっために、集中できずに成績が振るわず、ひどく落胆しました。

その結果、2,3の予備校を転校したがどこも長続きせず、自宅にひきこもることが多くなりました。

高校時代とくらべると被注察感は薄れたが、依然、人々の集まる場所やバス、電車などの公共の交通機関を避ける傾向にあります。

たまたま対人恐怖症に対する森田療法について書かれた書物を読み、自分の症状にもあてはまると思い、精神科外来を単独で受診しました。

初診時所見:表情豊かな健康そうな青年で、自己の状態を的確に陳述できるが、視線はなかなかあわせることができません。

症状に対する不合理感が強いと同時に、高校中退以後、進路が決まらず、将来に強い不安を抱いていることも認めていました。

社会的状況に接して生じる不安と青年期特有の孤独感や焦慮が相互に作用しており、未分化のまま言語化されないでいました。

そのために、時に情緒的に混乱することもあるようでした。

以上のように、まだ幼く社会的なスキルの未成熟さがうかがわれる青年期症例であり、不安やそれが派生する状況を言語化することが稚拙で、情緒的な耐性も低いです。

患者さんに対する周囲の支援が十分でなければ薬物療法のみでは治療効果が期待できないと予想されました。

治療経過:患者さんが森田療法を希望していることもあって、外来で森田療法的な指導を行うことにしました。

森田療法的指導といっても、従来のような説論中心の治療ではなく、日記指導を用い、多分に認知行動療法的な技法も取り入れた治療構造の緩やかなアプローチです。

1,2週間隔で来院させ、毎回以下のことを実施しました。

1.日記による詳細なセルフモニタリング

2.受診時に毎回、日記の記載にもとづき不安状況における患者さんの認知や解釈、行動選択の根拠を検証する。
この過程では言語化を促す必要があります。

3.不安は身体の生理的条件にも左右されるものであることを体験的に理解させ、規則正しい生活を送るために週間スケジュールをつくる。

4.社会的状況を体験する機会が増えるよう課題を与え、週間スケジュールに盛り込む。
たとえば通院する際に公共交通機関を利用する、図書館に行って一定の時間を過ごす、大型書店に参考書を購入しに行くなど、具体的な課題を設けた。

これらのアプローチは、認知行動療法における心理教育、認知再構築、エクスポージャー(曝露)などの技法と類似します。

さらに、進路決定などにまつわる将来の不安については、両親に援助を依頼するために家族面接をおこなうことにしました。

通院4週目、電車を利用して通院するようになりました。

けれども、「まだ恐くて予備校には行ってません。親はわかってくれません。寂しいですよ」と涙ぐみ、ひどく幼くみえました。

次回、両親との面接を提案したが、患者さんは「親は子どものことには無関心」と両親に対する不信感を述べました。

6週目、母親と面接。
母親はしっかりとした落ち着きのある人であったが「子どものことはとても心配してきましたが、どうしてやればよいものかわからず、困っていました」という。

これまで患者さんは症状について親にほとんど話していなかったのです。

治療者より説明したところ、母親は「はじめて子どものことがわかりました」と安堵した様子でした。

9週目、久し振りに予備校のセミナーに出席しました。

そこで自分も精神科に通院しているという人物に会い、話し込みました。

2年ぶりくらいの体験でした。

「人混みのなかは嫌いですが、以前ほど気にはなりません。前に通っていたスポーツジムにまた通おうかな。」

同時に、早く親元を離れたい、経済的に親を頼りたくないという考えも表明します。
「でも、まだバイトに行く自信が・・・」と苦笑する。
表情にも余裕がみられました。

10週目、「家にいるとイライラします。自分のせいで家庭が暗くなっているからですね。家にいたくありません。」

母親が治療者に、父親とも会って欲しいと希望しているといいます。

11週目、両親と面接。
父親はやさしい人で、患者さんの問題にも鷹揚に構えています。

患者さんの進路について両親の考えを聞き、今後も支援をつづけることを確認しました。

父親の趣味(ゴルフ、ドライブ)に患者さんを誘ってみることが話題となりました。

12週目、前回面接後、両親と大学受験資格を取りたいという意思を改めて確認し合いました。
スポーツジムに通い始めました。

「人が増えると息苦しくなって、気分が落ち込みます。でも先生と話していると大分いいですよ。毎週、診察してもらえませんか。」

16週目、予備校に通学再会、「新しい友達もできて楽しいですよ。自信もちょっと出てきたかな。前ほどイライラしません。」

19週目、予備校の帰りにはスポーツジムに寄って汗を流しています。

ガソリンスタンドでアルバイトも始めました。

客の応対では強く緊張するが、忙しいので気にしている暇はありません。

最近、父親と野球観戦に行きました。

「親とも仲良くなりましたよ。(バイトで忙しいので)しばらく自分だけでやってみます」と笑顔で話す。

以後も2カ月おきに受診してきます。

不調な時に受診を電話予約するが、来院時にはすでに回復していることが多いです。「まだ先生から離れられないみたいですね」と、表情にも成長が感じられます。

周囲から見られている感じはつづいているが、以前のように気持ちが落ち込むことはありません。

1年後には、大学受験資格を取得し、引き続き受験勉強に励んでいます。

アルバイトもつづけており、他のスタッフからも頼りにされているらしいです。

・考察

青年期は、家庭(両親)からの分離や社会的スキルの未成熟さなど必然的に不安状況を発生させやすい要因をかかえています。

多くは青年の社会的成長とともに自然に解消されていくものではあるが、青年期の社会不安障害の一部が容易には治らず重症遷延化しやすい背景をなしています。

一般に基本的な対人関係の形成能力に障害があり(すなわち人格障害)、社会的スキルに乏しい患者さんの社会不安障害は薬物療法に抵抗します。

そのような青年期症例の治療では、社会的スキルの獲得(認知行動療法におけるソーシャルスキルトレーニング)や社会的活動の支援が重視されます。

一方、青年期の対人恐怖症は伝統的な森田療法の主要な適応の一つでした。

その治療観では、青年が抱きやすい社会不安は自然の法則にすぎず、病的なものとはみなしません。

そのことをあるべきことではないと考え、恐れて回避しようとするのが誤りです。

「不安は不安なままに、あるがままにまかせておればよい」というテーゼに象徴されるように、不安に対する正しい対処が可能になれば、おのずから健康な自己実現の欲望(「生の欲望」とよばれる)が発動すると期待されていました。

そこでは、いかに行動すべきか、生きるべきかというような本質的問題の解答はいわば自明のものであった。

しかしながら、現代の青年期の患者さんにとって、かつて伝統的な森田療法が奏効した時代のようには、それぞれの自己実現のありようが明確でなく、それを支持するべき社会や家族の構造も曖昧となっている。

そこに伝統的な森田療法の限界がありました。

こうした困難を勘案して、現代の森田療法では患者の対人関係形成能力に留意し、社会的スキルが十分に学習されるまでの期間、受容的な治療環境を提供し支援するさまざまな工夫を施しています。

じつは本症例もそうした試みの一つで、家族による支援を重視したアプローチです。

青年期の社会不安障害の患者さんのなかには、幼少児期から両親に過剰に期待され、特別な子どもとして育ってきた人達がすくなからずおり、幼児期から学童期にかけて親や近親者と深い情緒的関係を体験しています。

このことの社会文化的特異性は明らかではないが、精神病理学的には、家族との強い情緒的な絆が青年期に至って社会不安障害を誘発させた可能性が示唆されます。

しかし、それは逆に治癒機転にもなりえます。

そのような患者と家族に遭遇すると、著者は必ず家族面接をおこない、両親に治療への協力を依頼し、患者と家族の絆を治療的に取りまとめるようにしています。

社会不安障害の治療ガイドラインによれば、その治療手順はほとんどパニック障害と重複しています。

しかしそれが適応できるのは、実際には症例Aのような社会的スキルが備わった患者群にかぎられており、症例Bのように青年期に好発する社会不安障害の治療には限界があるように感じられます。

それよりも、従来日本で培われてきた対人恐怖症の診断と治療のノウハウを活かすほうが、なお有用ではないかと考えている。

日本の治療文化においては、なお社会不安障害と従来の対人恐怖症との境界が必ずしも明瞭でないことを指摘しています。

すなわち、社会不安症状を訴える患者の側も、それに対応する治療者の側も、疾病(社会不安障害)なのか、気質の問題(対人恐怖症)なのか、判然とせぬままSSRIを使用する一方で森田療法に学ぶほうが、わが国の治療文化には向いているかもしれません。

に拘束されている可能性があります。

そのことに留意しながら、私達は欧米の治療文化から発せられる社会不安障害のガイドラインを学ぶ必要があるでしょう。