近年、コンプライアンス(compliance)という言葉にかわって、アドヒアランス(adherence)という言葉がよく聞かれるようになりました。
コンプライアンスの和訳は服薬尊守であり、それは「治療者の指示に、患者がどの程度従っているか(従順でいるか)」という視点で評価されます。
その判断の基準は、あくまでも治療者側にあり、指示通り服薬できない患者については、患者側の問題として判断され、服薬尊守を高めるためには患者を説得するという行為がおこなわれます。
しかし、コンプライアンスの善し悪しは、すべてが患者側にあるわけではなく、治療者と患者の信頼関係の不足(患者情報の収集不足、患者の生活習慣への無理解、服用困難な剤型や処方の選択、あるいは事前の十分な服用意義の説明不足など)、つまり多くは治療者側の独善的な思い込みに、その要因があるともいえます。
アドヒアランスはコンプライアンスの維持・向上のために志向された概念であり、熟練した治療者が「患者は治療に従順であるべき」という患者像から脱却することを意図した概念で、治療者―患者間の関係および相互作用に着目した概念です。
患者自身が病気を受容し、治療方針の決定に参加し、積極的に治療をおこなおうとする能動的な態度のことを「アドヒアランスが良い」といいます。
ここでは社会不安障害の患者さんのコンプライアンス向上を図る服薬指導について述べるが、それはつまり、社会不安障害の患者さんの良いアドヒアランスを維持するための工夫について述べることと同じです。
また、服薬指導というと薬剤師の立場から述べられることが多いが、コンプライアンスの向上にかかわる治療者の主は医師であるので、ここでは医師の立場から述べます。
社会不安障害のコンプライアンス
社会不安障害の服薬コンプライアンスに関する系統だった論文は、2005年時点、知る限り存在しません。
コンプライアンスについての研究が最も盛んなのは統合失調症に対する抗精神病薬に関してで、抗うつ薬や抗不安薬に関するもの自体がまだ十分ではないのです。
抗精神病薬のノンコンプライアンス(NC)は40~60%に認めるといわれ、NCの統合失調症患者が一年以内に再発する率は74%に及ぶとされています。
抗うつ薬に関しては、治療開始後12週間以内に52%の患者さんが服用を中止し、その中止した患者さんのうち33%は医師に中止したことを知らせずにいたとの報告があります。
ベンゾジアゼピン系薬剤などの抗不安薬に関しては、抗精神病薬や抗うつ薬とも異なった側面が多く、もともと頓服薬として処方されていたり、服用方法も適宜調節可となっていたりするため、コンプライアンスの客観評価そのものがきわめて困難であり、コンプライアンスより依存や退薬・離脱が問題となることが多いとの指摘があります。
概して、向精神薬のコンプライアンスは悪いといえそうです。
臨床上からも社会不安障害のコンプライアンスは悪いです。
社会不安障害の多くは小児期・思春期に発症し、「内気である」とか「恥ずかしがり屋」という性格の問題として本人も周囲の人もとらえやすく、よっぽど他の気分障害やアルコール依存などで問題にならないかぎり治療を受けに来ることはありません。
さらに、治療を受けに来ても正確に診断されることは少なく、社会不安障害を標的として適切な治療がおこなわれることも少ない。
社会不安障害は5.4%しか医療機関を受診せず、それは精神疾患のない人の受診率(8.0%)よりも低いとの報告もあるほどです。
つまり、もともと病気として認識されにくい疾患であり、実際、日本においてはあまり認知されていない疾患です。
そのような患者の服薬コンプライアンスを向上させるための工夫に関してつぎにまとめます。
社会不安障害のコンプライアンスを向上させるためには
コンプライアンスを決定する要因は、治療者の説明不足と説明能力、および患者さんの理解力といわれています。
とくに、初回服用時に医師により十分な説明がおこなわれ、十分なインフォームド・コンセントが得られれば、コンプライアンスは上昇します。
インフォームド・コンセントは大きく、情報(information)、自発性(voluntarity)、適正(competence)に分けられます。
ここで最も重要となるのが、医師から患者さんへの情報でしょう。
情報は、疾患に関する情報(特徴、有病率、転帰、疾患による影響など)、治療法に関する情報(治療の種類、服薬の必要性、中断時の症状や転帰など)、薬剤そのものに関する情報(薬剤の特徴、効果、効果発現期、副作用、副作用への対応、離脱症状、費用など)にまとめられます。
以下に、社会不安障害の患者さんへの服薬指導におけるポイントを項目別にまとめました。
1.社会不安障害に関する啓発と教育
米国の大規模疫学調査 National Comorbidity Surveyによれば、精神障害の分類と診断の手引き第3版改訂版(DSM-Ⅲ-R)の診断基準を使用した社会不安障害の生涯有病率は13.3%と高率でした。
DSM-Ⅲの診断基準を試用したWeissmanらの報告では、社会不安障害の生涯有病率は米国では1.0~4.1%と、東アジアの0.4~0.6%の数倍でした。
DSM-Ⅲの診断基準はDSM-Ⅲ-Rより厳しいことは考慮に入れる必要があります。
国際疾病分類第10改訂版(ICD-10)に準じた欧州のデータでは、社会不安障害の生涯有病率がドイツとフランスが7.3%、イタリアが6.6%、米国が7.2%でした。
診断基準や国による差はあるにしても、社会不安障害の生涯有病率は10%弱と考えられています。
このように、有病率が高い割に、社会不安障害は単なる性格の問題(内気や恥ずかしがり屋)としてとらえることが多く、医療機関を受診しないのです。
受診しても社会不安障害と診断されず、適切な治療を受けていません。
これは、社会的な社会不安障害の認知度の低さと同時に、社会不安障害の患者さんがもともと他者との接触を回避する傾向が強いことと関係していると考えられています。
社会不安障害の多くは小児期・思春期に発症し、慢性的な経過をたどり、自然寛解しにくいのが特徴で、平均罹病期間は20年といわれています。
約8年間の追跡調査によればパニック障害は2/3が寛解したのに対し、社会不安障害は1/3程度しか寛解していなかったといいます。
また、受診率、診断率、治療率が低い割に、社会不安障害のQOLに対する影響は大きく、仕事(生産性、昇進)経済(収入、失業率)、友人関係、恋愛などに与える影響が大きいです。
さらに、社会不安障害は生涯のうちに気分障害、他の不安障害、アルコール依存などのコモビディティを約80%に認めます。
コモビディティがあるほど、QOLは有意に低下します。
社会不安障害の疫学データを中心とした情報を患者さんおよびご家族に教育することは、患者の状態が性格の問題ではなく、治療可能な疾患として確立していることを認識させ、それは病識の獲得につながると考えられます。
社会不安障害が疾患であることを本人や家族が認識・理解しないかぎり、治療につながることはなく、服薬をすることもないです。
また、社会不安障害の疫学データに関して、医師自身もつねに認識しておくことも重要です。
医師の認識がないかぎり、社会不安障害の患者さんを目の前にしても正確な診断が下せないことになるからです。
2.社会不安障害の治療に関して
社会不安障害の治療のfirst-lineは、薬物療法と認知行動療法である。
薬物療法は、恐怖や予期不安の軽減、回避行動の軽減、さらにQOLの改善を目標としておこなわれます。
社会不安障害が薬剤のみで寛解する率は高くないです。
日本での社会不安障害の薬物療法は、フルボキサミンやパロキセチンなどの選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)か、クロナゼパムやアルプラゾラムなどの高力価ベンゾジアゼピン系抗不安薬が中心となるでしょう。
海外では、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)の一つであるvenlafaxineや、モノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)、可逆的モノアミン酸化酵素A阻害薬(RIMA)の有用性も報告されているが、2005年時点で日本で使用可能なSNRIのミルナシプランの社会不安障害に対する報告はまだなく、また、MAOIやRIMAも日本にはないです。
SSRIの効果発現は遅く、プラセボと有意な差を認めるまで6~8週間を必要とします。
そして、最低でも12週間は経過をみることが推奨されています。
1種類のSSRIに反応する割合は、ほぼ60~70%です。
SSRIをどの程度継続するべきかに関しては、まだ確立していないが、ほぼ6カ月~1年の持続投与が推奨されています。
SSRIは忍容性や安全性にすぐれている点、また大うつ病や他の不安障害などのコモビディティに対しても効果が期待できる点なども有用性を支持するものです。
欧米では、フルボキサミンは50mg/日、パロキセチンは20mg/日が適当な初期用量とされています。
社会不安障害に対する至適用量は明確にされてはいないが、大うつ病と同等かそれ以上と考えられています。
フルボキサミンでは、小児期では200mg/日まで、思春期以降では300mg/日まで、パロキセチンでは10mgずつ40mgまでの増量が推奨されています。
服薬コンプライアンスの向上のために最も重要な情報は、服薬中断時の症状再燃に関するものでしょう。
パロキセチンの12週間の急性期治療に反応した323人を対象としたパロキセチンとプラセボの二重盲検試験で、その後の24週間に再発した率はパロキセチン群が14%であったのに対し、プラセボ群は39%でした。
20週間のセルトラリン治療に反応した50例を対象としたセルトラリンとプラセボの二重盲検試験でその後の24週間に再発した率は、セルトラリン群4%であったのに対し、プラセボ群は39%でした。
このようにSSRIの場合、12~20週間で治療を中断すると高率で再発します。
ベンゾジアゼピン系抗不安薬は即効性があり有効であるが、その依存性と鎮静作用(眠気)のため、SSRIの効果発現までの補助的な薬剤としたほうが良いという意見もあります。
薬物療法以外に、非薬物療法として認知行動療法、曝露療法、ソーシャルスキルトレーニングなどがあり、それぞれ有効です。
非薬物療法を薬物療法の維持期に併用することにより、薬物療法中断後の再発率を下げる試みもなされています。
3.社会不安障害の薬剤に関して
とくにSSRIは、効果発現が遅いです。
先述のとおり、効果発現まで6~8週間を必要とします。
患者には、その期間は毎日服用する必要があることを説明します。
また、途中に軽快したと感じても服用を勝手に中断せず、医師に相談するよう伝えます。
治療初期の中断は、高率で再燃につながるというデータが説得の大きな材料になるでしょう。
Tugrulは、服薬中断によりもたらされる転帰についての十分な教育を受けていないと、症状が改善しはじめると、患者さんは往々にして服用方法を勝手に変えてしまうといっています。
服薬コンプライアンスに影響する大きな要素として、副作用があります。
精神科を訪れる患者さんの2/3は、主観的に副作用と感じる症状があるといわれています。
これは、患者さんは精神疾患や身体疾患による症状も副作用としてとらえやすい傾向があることを物語っています。
医師が想像する以上に患者さんは副作用に対して敏感であるという意識を持ち続けることが重要です。
以前は副作用がNCの最大の理由であると考えられていたが、実際は多くのNCの理由の一つにすぎないことが知られるようになってきました。
ある程度の副作用情報、とくに副作用の頻度、種類、対応方法(医師との連絡方法などを含む)に関して前もって伝えておくと、必要以上に副作用ととらえNCにつながることを避けられるでしょう。
しかし、将来起こり得る副作用への恐れもNCの理由になることから、いたずらに不安をあおるような伝え方には注意が必要である。
SSRIは三環系抗うつ薬(TCA)にみられる口渇、便秘、尿閉、起立性低血圧、体重増加、鎮静、心毒性などが少ないが、不安感、焦燥感、不眠、消化器症状(嘔気、下痢、食欲低下)などがみられやすいこと、不安感、焦燥感、不眠の増悪は治療開始早期に見られることが多く、ベンゾジアゼピン系抗不安薬が必要になることもあること、まれに振戦、アカシジアや他の錐体外路症状がみられること、ごくまれにセロトニン症候群(ミオクローヌ、頻脈、高血圧、気分高揚、錯乱、下痢など)がみられるが、セロトニン症候群は比較的予後がよいことなどを伝える。
SSRIに関しては、離脱症状に関する情報を患者さんに伝えておくことも重要です。
SSRIは三環系抗うつ薬と異なり、cholinergic reboundを起こしにくく離脱症状はないといわれていたが、SSRIを継続服用後に急に中断すると、服薬中断後1~2日目にめまい、悪心、下痢、電気ショック様症状、倦怠感、焦燥感を中心とした症状が現れることがあります。
また、時には軽躁状態(過活動、疲労感の消失)や攻撃性なども現れる。
このようなとき、患者は胃腸科など他の科を受診します。
前もってこの情報を与えておくと、患者さんが自己判断で服薬を中断することも少なくなるでしょう。
知らずにこの症状を起こすと、もうこんな薬は飲みたくないと服薬拒否につながる場合もあります。
離脱症状への対応として、再服薬後、漸減する方法があることを伝えます。
コンプライアンスを良好にするためには1日の服薬回数や、一度に服用する錠数にも気を配る必要があります。
当然、服薬回数、錠数ともに少ないほどコンプライアンスは向上します。
とくに、外来患者においては、通院費、診療費、薬剤費などの費用の負担がNCにつながることがあります。
公費負担制度(精神保健福祉法32条)などの存在の告知もコンプライアンス向上には重要となってくるでしょう。
表1に社会不安障害の患者さんの服薬コンプライアンスを向上させるための服薬指導のポイントをまとめました。
表1.社会不安障害の患者さんへの服薬指導のポイント(医師の立場から)
1.社会不安障害に関する啓発と教育
a.病状に関する具体的な説明
b.予想以上に有病率が高い
c.単なる「内気」や「恥ずかしがり屋」とは異なる治療可能な疾患である。
d.多くは小児期・思春期に発症し、慢性的な経過をたどる。
e.仕事・家事、経済、友人関係、恋愛、QOLに与える影響が大きい。
f.経過中に、他の精神疾患(気分障害、他の不安障害、アルコール・薬物依存など)の併存が多くみられる。
2.治療に関して
a.多くは医療機関を受診せず、受診しても診断されず、適切な治療を受けていない。
b.60~70%は薬物療法に反応する。
c.有効と考えられる薬剤が何種類か(SSRIがfirst-line)ある
d.最低12週間は経過をみる
e.至適用量は大うつ病性障害と同等かそれ以上
f.薬物療法は、6カ月~1年は継続することが推奨されている。
g.薬物療法を早期に中断すると、再燃する可能性が高い。
h.薬物療法以外に、非薬物療法(認知療法、曝露療法、ソーシャルスキルトレーニングなど)がある。
i.薬物療法と非薬物療法の併用も有効(とくに薬物療法減量時)
3.薬剤に関して
a.効果発現時期の目安
b.毎日服用することの必要性
c.軽快したと感じても服用を勝手に中断せず、医師に相談する。
d.使用する薬剤によくみられる副作用や離脱症状に関して
e.副作用出現時の対応方法(医師との連絡方法などを含む)。
f.薬剤にかかる費用について
社会不安障害の症状評価
社会不安障害は長期にわたる疾患であり、12~20週間で服薬を中断すると再燃する率が高いです。
最低でも一年間程度の服薬が推奨されています。
そのあいだは、良好な医師・患者関係を維持しながら、つねに患者さんの症状に気を配る必要があります。
定期的にLSASを用いて重症度の変化を患者さんにも目に見える形で還元することも有効です。
ほかに、Sheehan Disability Scale(SDISS)は自己記入式であり、社会不安障害による障害度を数分で評価できるため有用です。
社会不安障害の服薬コンプライアンス向上のための服薬指導に関して概説しました。
いまのところ、社会不安障害の服薬コンプライアンスに関する情報は少ない。
服薬コンプライアンス向上のためには、社会不安障害そのものに関する情報と、薬剤による利益・不利益がさらに明確になることが求められます。
今後、
1.寛解率を上げるための薬物療法、
2.部分反応者へのオーグメンテーション療法を含めた治療法
3.長期治療および再発予防のエビデンス
4.認知行動療法と薬物療法の統合のエビデンス
5.患者別治療反応性の予測
6.小児・思春期の治療の確立
などの情報が蓄積されることが期待されます。
最後に、このような情報を医師が患者に正確に伝えるためには、良好な医師・患者関係の維持に努力を惜しまないことが重要です。
※参考文献:社会不安障害治療のストラテジー 小山司著