ところで、ICD-10では回避される恐怖の対象を「自己の外部にある」明らかな状況やものと定義します。

そのために、自己に所属する状況やもの、たとえば疾病(疾病恐怖)や醜形(醜形恐怖)は身体化障害の一つ、心気障害(F45.2)に分類されます。

しかし、上記のように恐怖の二次的症状が一時的症状と確信されることがあるという指摘に該当すると思われる赤面、失禁、嘔吐、卒倒などの恐怖は自己に所属するものと思われるが、これらは特定の(個別的)恐怖症に分類されます。

心気障害に分類されるのは、確信の程度や持続の程度が高い場合です。

日本で生まれた対人恐怖症(anthropophobia)は、特定の恐怖(たとえば赤面)によって自己が対人場面を回避するレベルのものから、社会恐怖、さらには自己が忌避されるものまで含んでいます。

対人恐怖症体験において焦点が当てられる次元あるいは体験構造における側面は、体験する個人の身体と心理のなかの他者に与える不快、不愉快、加害的側面です。

対人恐怖症概念が提唱された時代における体験構造が現在とはことなっていたのか、提唱者がその側面にとくに注目したのかです。

山下DrはICD-10の社会恐怖(F40.1)を緊張型対人恐怖症と、自己の心身の欠陥のために周りの人々に不快や嫌悪感を抱かせる、それが周りの人々の態度やしぐさでわかると確信するタイプである確信(妄想)型対人(社会)恐怖の2つに分類しています。

これが体験される、または注目され記載された背景には文化社会的な背景の影響が推測されているのは周知のことです。

一方、初期に記載されて普及した概念に影響されて、存在する体験や症状が観察されなかったり記載されなかった可能性も考慮するべきと思われます。

たとえば、米国では慢性覚醒剤精神病は存在していたにもかかわらず、最近まであまり関心が払われず記載されなかったこともあるからです。

対人恐怖症として神経症レベルから精神病レベルまで含んで概括的に診断することがあまり有用であるとは思われません。

治療は病気と格闘する患者と、その格闘を援助する治療者との協力がしやすい分類や認識のめやすが必要なのでしょう。

その場合、恐怖の程度、不安・恐怖の焦点(他者の観察・評価、他者への迷惑・加害)、回避する状況の広がりの度合い、状況認識の現実検討のレベル、気分状態などの評価ができる分類や基準に発展させる必要があります。

現在の恐怖症性不安障害の分類に妥当な基準があるわけではないです。

DSM-Ⅳは上記のように診断カテゴリーとしては社会不安障害と特定の恐怖症をあげ、空間恐怖はもっぱらPDの合併症状と位置付けています。

ICD-10は空間恐怖を診断的に優先し、社会恐怖、特定の(個別的)恐怖に分類しています。

山下Drはよく知られているように、恐怖状態を特定恐怖、外出恐怖(広場、空間、乗物、雑踏恐怖)、対人恐怖症(社会恐怖、社会不安障害)、疾病恐怖(心気障害、身体表現性障害)の4つに分けています。

現在のところ分類に役立つような薬理生化学的根拠は見出されていません。

したがって、当面これは臨床的(診断と治療的対処)に決めるべきでしょう。

選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)や第二世代抗精神病薬の登場によって、ベンゾジアゼピン系薬剤のみでなく、部分的に有用な薬剤もあります。

これらのエビデンスが集積されてから妥当性のある分類の手がかりを考えていっても遅くない領域です。

身体疾患と精神活性物質によるものや、気分障害や精神病性障害の鑑別と治療をまず正確におこなうことが重要です。

残余の不安障害を主とするものについては、SSRIと一部のベンゾジアゼピン系薬剤および認知行動療法や森田療法の適応を適切に実施することが必要です。

以上、簡単にDSM-ⅣとICD-10における社会恐怖または社会不安障害の診断概念と診断基準について述べました。

社会不安障害が高頻度で社会的損失が大きいことが認識され、一方、一部効果のあるSSRIなどが開発されて注目されるようになりました。

その分類の生物学的根拠はまだほとんどわかっておらず、DSM-ⅣもICD-10も、その分類や診断基準の任意性は否めないです。

当面は臨床の有用性にしたがって分類しながら、その分類の妥当性を検討していくことが課題です。

※参考文献:社会不安障害治療のストラテジー 小山司著