日本では長年にわたる対人恐怖症に関する臨床研究および経験の蓄積があるにもかかわらず、社会不安障害に悩む患者さんの多くが適切な医療と考え苦しんできたのが実態です。

社会不安障害は社会恐怖ともいい、主に思春期かそれ以前に発症し、人前での行為や人とのかかわりに過度の不安や恐怖を抱き、社会生活に大きな支障をきたし、適切に治療しないと生涯にわたってつづく可能性が高い慢性疾患です。

訳語としては、むしろ社交不安障害ないしは社交恐怖症が適切でしょう。

社会恐怖は1980年の米国精神医学会(APA)の精神障害の分類と診断の手引き第3版(DSM-Ⅲ)において、まれな恐怖症の一つとしてはじめて登場したが、その後の疫学調査で不安障害のなかでも最も有病率が高いことが示唆され、無視されていた不安障害とも呼ばれました。

単なる性格の問題、内気ととらえられることが多く、受診率は欧米でも数%以下といわれ、隠れた患者が多いのが特徴です。

日本においてはあまり認知されていない疾患であるが、患者の苦痛やQOLへの悪影響は予想以上であり、二次的にうつ病、アルコール依存症を伴う例も多いです。

社会不安障害に対しては選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が有効なことが示され、すでに欧米では幅広く用いられています。

日本でも社会不安障害に対する適応拡大が確定され、前にパロキセチンとフルボキサミン、の臨床試験が前に行われました。

これは、日本ではじめておこなわれた社会不安障害に対する臨床試験であったが予想以上の反応があり、これまでにない短期間で試験が終了したことは、潜在患者がいかに多いかを反映したものでしょう。

試験参加者の薬物療法に対する期待や熱意も予想以上であり、長年にわたる日常生活の支障や苦痛を示唆するものでありました。

社会不安障害概念の変遷と薬物療法の登場

紀元前5世紀にヒポクラテスは人前での行為や会話に病的な恐怖感を抱き、人とのかかわりを避けた男について記載しています。

その後19世紀半ばにフランスで赤面恐怖や過度の内気について報告され、20世紀初頭にはジャネが社会恐怖についてはじめて記載しています。

日本では森田正馬が、強迫観念症の一型として赤面恐怖、視線恐怖、正視恐怖、醜形恐怖、吃音恐怖など様々なタイプの対人恐怖症について述べています。

こうした対人恐怖症はおもにわが国とその後韓国で報告され、欧米ではTaijin-Kyofushoと記載され、儒教的な文化に特有な文化結合症候群と考えられていました。

その後、山下Drにより重症対人恐怖症が検討され、自己臭恐怖や醜形恐怖などは妄想的な確信が基礎にある確信型対人恐怖症と位置付けられ、人前での過度の緊張や恐怖を主症状とする緊張型対人恐怖症がほぼ欧米の社会不安障害に合致すると考えられています。

一方、1960年代広範に行動療法の大家である英国のMarksらが社会恐怖について症例報告し、1980年のAPAによるDSM-Ⅲにおいて彼らの意見が採用され、比較的まれな恐怖症の一型としてはじめて登場しました。

当然のことながら彼らは社会恐怖に対しては行動療法が有効かつ適切な治療法とみなしていました。

しかしその後Liebowitzらにより、非定型的なうつ病やさまざまな恐怖症に対する効果に優れているモノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)であるphenelzineの有効性が報告され、社会不安障害に対して薬物療法が有効であることがはじめて示されました。

その後90年代に入り、欧米では急速に研究が活発となり、有病率が10%以上という報告もなされ、90年代のパニック障害とも呼ばれました。

とくに新しいタイプのMAOIやSSRIの有用性が検討されてから、さらに認知度が高まり、恐怖症の一型としての社会恐怖にかわって、最も多い不安障害として社会不安障害とよばれることが多くなりました。

しかし日本では最近SSRIの臨床試験がおこなわれるまで専門家の間でもあまり認知されていなかったのが実情です。

※参考文献:社会不安障害治療のストラテジー 小山司著