まず、ある男性の話を紹介しよう。

たとえ仕事の会議中に、よいアイデアを思いついても、ぼくはそれを発表することができないんだ。

だって、人前で発言するなんて、考えるだけで恐ろしくなってくる。

それに、自分の意見についてみんなからどんな批判を浴びるかと思うと、胸がドキドキしてくるんだ。

もちろん、みんなに僕のアイデアを聞いて欲しいという気持ちはあるさ。

でも、「よし、今度こそ!」と決意しても、急にパニックに陥って、何をどう説明したらいいのかわからなくなってしまう。

で、結局、いつもと同じパターンになるんだ。

つまり、誰か他の人が、自分と同じようなアイデアを発表して、みんなの賞賛を受けてしまうんだよ。

遂行不安

この男性が感じているタイプの不安は、<社会不安><社会不安障害>のうちでもとくに<遂行不安>と呼ばれる類のものだ(英語で「パフォーマンス・アンザイエティ」)とも言う)。

他人の評価にさらされているという意識の下で何かをしなければならない時、、はたしてうまく成果をあげられるか・・・つまり、やるべきことを遂行できるかどうかを不安に感じるのが、この<遂行不安>である。

実は、<遂行不安>は、その場にいる人達の人数と、その人達とのやりとりのしかたによって、四つのタイプに分けることができる。

それは、「大勢」か「一対一」か、「双方向的」か「一方的」か、という四つの尺度を組み合わせた分類だ(表1-2)。どの<遂行不安>を強く感じるかは、人によってさまざまだろう。

大勢の前 一対一
双方向的なやりとりをしている時 職場の会議、プレゼンテーション、マンションの住民会議 面接試験、口述試験
一方的なパフォーマンスを行う時 講演、演劇、演奏、スポーツ競技 口述試験(エクスポーズ)、個人オーディション

大勢の前で感じるか、一対一で感じるか

まず、<遂行不安>は、その場にいる人の数という尺度から、講演、音楽演奏、スポーツ競技のように「大勢の前」で何かをする時に感じる不安と、面接試験やオーディションのように試験管と「一対一」の時に感じる不安の、二つのタイプに分けることができる。

これらはいずれも、大きな不安をもたらしかねない状況だ。

たとえば「大勢の前」の例として、結婚式でお祝いのスピーチをする時のことを考えてみよう。

「スピーチの内容はよくできているだろうか?」、「落ち着いて、きちんと話すことができるだろうか?」など、不安は次々とわいてくる。

結婚式の出席者たちは、あなたの話の内容はもちろん、どんな話し方をするかも含めて、あなたのスピーチがよかったかどうかを評価するだろう。

これでは、「緊張するな」というほうが無理な話だ。

だからといって、面接試験のように「一対一」のほうが気が楽だということは決してない。

こちらのケースでも、結果次第で自分の将来が大きく左右されてしまうので、やはりかなりのプレッシャーを受けることになるだろう。

それは、就職活動中のエミールの話を聞いても明らかである。

僕は物理を専攻しています。
学校の成績はまあよいほうなのですが、いざ就職活動を始めてみて、かなり苦戦を強いられています。

なぜかっていうと、面談が大の苦手なんですよ。

試験管から何か質問をされるだけで、顔が真赤になって、話をしようとするとしどろもどろになってしまうんです。

結果は、もちろん不合格。「この調子では、入社後に研究チームをまかせるわけにはいかないな」、きっとそう思われてしまうんでしょうね。

双方向か、一方的か

さらに<遂行不安>は、前文のように「大勢」か「一対一」かという尺度とは別に、面接試験、会議、討論会のようにやりとりが「双方向」か、講演、講義、朗読、演奏のように自分の方が「一方的」にパフォーマンスを行うか、というふたつのタイプに分けることもできる。

以下に、それぞれのタイプの<遂行不安>について順に見ていこう。

双方向的なやりとりの時に感じる不安

<遂行不安>を感じる人のなかには「双方向的」なやりとり(就職面談、討論会、会議など)をする時に、とりわけ大きな不安を感じる人がいる。

このタイプの人は、批判的な言葉、攻撃的な反論、思いがけない質問などを相手から言われることに大きな不安を感じている。

つまり、直接的に、眼の前にいる相手から低い評価を与えられてしまうことを怖れているのだ。

商品説明会での質疑応答、マンションの住民会議、外国語検定の面接試験なども、この種の不安を引き起こす状況のひとつだろう。

そう考えると、私達はごく日常的に、このタイプの<遂行不安>を感じる状況に置かれていると言える。

人によっては、わざわざ大金をはたいてアドバイザーから個人レッスンを受ける人もいるほどだ。

だがそうなってくると、この種の不安を解決できるのは、セミナーに参加したり個人指導を受けたりできる、それなりの経済力のある人だけなのだろうか、という疑問も生まれてくる。

もしそうだとしたら、それはそれで大きな問題だと言えるだろう。

というのも、前述したように、私たちは現代社会において、ごく日常的にこの種の<遂行不安>を感じる状況に置かれているからである。

つまり、常に他人の前で自分の意見や考えを述べることが求められ、それができなければグループのリーダーにはなれなくなる。

いや、それだけではない。

会社で出世することはおろか、運転免許の実技試験にパスしたり、就職試験に合格したりすることさえ困難になってしまうだろう。

そういう、人生を大きく左右する出来事が、経済力があるかどうかで決まってしまうというのは、いかにも不公平なことではないだろうか?

この種の<遂行不安>を抱えている人にとって、成功への道は非常に険しい。

それはまるで、行く先々にさまざまな障害物がまき散らされているようなものだ。

近代精神医学の祖であるフィリップ・ピネルは、生来の内向性とそれに伴う強度の吃音のために、そのキャリアを失いそうになったことがある。

もし、そこでピネルが一線から退いてしまっていたら、監獄のような病棟や手足を拘束する鎖から精神病患者が解放されるようになるまで、もっとずっと長い年月がかかったことだろう。

こうした「双方向的」なやりとりでの<遂行不安>は、一見そういう不安とは無縁に見える人々、たとえば、学校の教師にも訪れる。

いったいどれほど多くの教師が、教室で生徒たちに相対しながら教鞭を振ることに、大きな不安を感じていることか。

また、生徒とは別の人間関係における不安も見過ごせない。

私達は以前、アルコール依存に悩んで相談に訪れた若い教師を治療したことがある。

ところが、何度か面談を繰り返すうちに、問題が多いクラスを受け持つ不安に加えて、教師に対して時に辛辣な生徒の両親たちと向き合う不安が、そもそもの飲酒の原因であることが明らかになったのである。

したがって、その教師のアルコール依存を治すには、まず初めに彼の<社会不安障害>を抑えることが必要であった。

この他に、職員会議が苦手な高校教師の相談を受けたこともある。

日頃の雑談のなかで、同僚の教師たちと教育論をぶつ分には、もちろんまったく問題はない。

しかし、校長をはじめ教師全員が一堂に会する職員会議の席で、いざ同じ話をあらたまって発表するとなると、急に委縮してしまう。

これは結局、眼の前にいる人達からどんな反応が返ってくるか、どんな評価を受けるかを怖れているのだ。

一方的にパフォーマンスを行う時に感じる不安

次は、他の人達が見ている前で、自分が演技、演奏、競技などを一方的に行う時の不安、つまり、あがることについて。

私達は普通、名優や名演奏家ともなれば、舞台の上であがったりはしないだろうと考える。

だが、それはちがう。

「私は一度もあがったことなんかないわ」と誇らしげに言った新人女優に対し、サラ・ベルナールが返した言葉は有名である。

「あなたも実力がつけば、あがるようになるわよ」。

舞台に上がる前、自分でも抑えきれないほどの不安を感じる名優はたくさんいるのだ。

演奏家も同様である。

偉大なチェロ奏者パブロ・カザルスはこう言っている。

「これまで私は、ステージに立つたびに緊張したり、あがったりしてきた。

そうでなかったことなど一度もなかった」。

また、アメリカの女性歌手カーリー・サイモンは、この種の不安のために、六年近くもコンサート活動を停止することを余儀なくされた。

カーリーは言う。「初めてのコンサートの時、二曲唄い終わった後も、まだ胸がドキドキしていたわ。ステージの上で倒れてしまうんじゃないかって本気で思った・・・。

そして次の公演の時には、一万人もの観客が会場で待っていてくれたというのに、私は逃げ出してしまったのよ。

たくさんの人に見られると思うと、ステージに上がるのが怖くなってしまったの」

では、俳優や歌手ではなく、スポーツ選手の場合はどうだろう。

実は、重要な競技会の時に、スポーツ選手があがるのはそれほど珍しいことではない。

たとえば、1992年、バルセロナ・オリンピックの女子四百メートルで金メダルを獲得したマリー=ジョゼ・ペレックは、競技直前にロッカールームで緊張のあまり吐いてしまったという。

人前でパフォーマンスを披露することの不安は、スポーツ選手も普通の人とかわらないのだ。

もっとも、それは選手だけに限らない。

サッカーのある国際審判員は次のように告白している。

「重要な試合の前にちょっと一杯引っかけたり、ブランデーに浸けた角砂糖をかじったりすることもあるよ。

うまく審判ができるかどうか不安になるからさ。

それに、選手たちのことも怖いしね」

たくさんの観衆の前で、いつも通りの、あるいはいつも以上の結果をださなければならない。

このことで当人にどれほど大きなプレッシャーがかかることか。

オリンピックの百メートル決勝を目前にしたスプリンターの気持ちを想像してみてほしい。

なにしろ、競技場には八万人もの観衆、テレビカメラの向こうには百万人もの視聴者がいて、みんな固唾をのんで自分のことを見守っているのだ。

はたして自分は、みんなの期待通りの成績を出すことができるのだろうか・・・。

これこそ、まさに<遂行不安>である。

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳