内気と社会不安障害
内気と社会不安障害の関連はいつも議論の的となる問題です。
欧米ではパロキセチンをはじめとしたSSRIと呼ばれるセロトニンの利用効率を高める抗うつ薬が、社会不安障害の治療薬として認可されたときに、世間から過剰とも取られる抗うつ薬が、社会不安障害の治療薬として認可されたときに、世間から過剰とも取られる疾患啓発が行われ、それが単なる内気の人に薬を飲ませようとする製薬会社の陰謀であるという非難が起こりました。
日本でもSSRIであるフルボキサミンが社会不安障害に対する適応取得後に、新聞やテレビで大々的な疾患啓発がおこなわれたのはご存知の方もいるかと思います。
こうした批判は今でも続いています。
多くのベトナム難民やカンボジア難民が移住した国カナダは、まさに多民族、多文化の社会です。
同じ北米といってもアメリカ合衆国とは異なり、医療制度もわが国と同様の国民皆保険であり、文化的にも寛容な国です。
ここでは精神医療に関わるケースワーカーなどから、現在のアメリカ精神医学が発信する過剰な医学モデルに対して異議が唱えられ続けています。
これは、われわれは単なる社交不安を過剰に病的なものとし過ぎているのではないか、というものです。
もちろん典型的な社会恐怖、社会不安障害は明らかに精神医学的な疾患ですが、この20年における診断の基準の変化や、どこまでをびょうきとして治療の対象にすべきか、という事例性の敷居が著しく低くなってしまったことは事実です。
確かに社交不安というのは様々な動物に共通する正常な反応であって、反応の強さはその個体ごとによって異なり、人間であればその人の生まれ持った気質を反映したものですが、ある特定のきっかけとなる状況があれば、だれでも起こりうるものです。社会不安障害という疾患を否定する立場から見ると、単に生まれながらに社交不安の強い人が、誤って障害ないしは病気としてレッテルをつけられてしまうことになります。
こうした立場からすると医師が社会不安障害と診断している人の多くが、普通の意味での障害があるとか病気があるとは言えないことになります。
現在不安障害の臨床的な研究をリードしているケープタウン大学精神科のスタイン教授が、こうした懸念について述べています。
「われわれは必要もないのに単なる正常範囲の気質の偏りを医学的な病気にしてしまい、美容精神薬理学とでもよぶべき健康人に対する薬の使用によって、性格上の汚点を取り除こうとしているのでしょうか」と。
もちろんスタイン教授の答えはノーです。
なぜなら全般性の社会不安障害は社交不安のスペクトラムの究極とも呼ぶべきもので社会生活に支障を生じるものだから、というのが教授の答えです。
スペクトラムとは日本語では「光のスペクトル」のように、スペクトルと一般的にはよばれますが、連続して変化している一連の現象を表現する言葉で、誰でも経験する正常な人前での不安や緊張の延長線上に病的な社交不安の様々なケースがあるということを指します。
とはいえ欧米で社会不安障害と診断されている人の半数は全般性ではなく、社交不安がある特定の場面だけに限った非全般性のケースであると考えられています。
その立場から見ると、アメリカ精神医学会が専門家の意見に基づいて、病気と病気でない状態を仮にわけた診断基準は妥当なものとは言えず、正常な社交不安に病気のレッテルを張り不必要な治療へつなげる有害なものだということになります。
※参考文献:社会不安障害 田島治著