ここからは、<社会不安障害><社会不安>による三つ目の<不自然な行動>、不安を感じる状況で「極度に消極的になる、攻撃的になる」ことについて述べていく。

まず、次の二人の話を聞き比べてみてほしい。

不安を感じると消極的になる人

「私、緊張したり不安をかんじたりすると、思っていることを言えなくなってしまうの。

何かいい考えが浮かんでも、それを口にすることができなくなっちゃうのよ。

あるいは、ほしいものがあっても欲しいと言えなかったり、違うとおもってもつい頷いてしまったり・・・。

不安を感じると攻撃的になる人

「僕は、自分がやっていることに自信がない時、無意識にいばりくさった口調になってしまうんだ。

たぶん、目の前にいる相手を動揺させようとしてるんだろうね。

きっと攻撃的な人って、みんな自分に自信がないからそうなっちゃうんじゃないかな、僕みたいに。

私達は不安を感じると、すぐに「逃げるか、戦うか」できるように身体が準備を始める。

これは、私達人間が生存競争に勝つための、ごく自然な反応である。

このことを思い起こせば、私達が不安を感じる状況で、極度に消極的になったり(逃げたり)、逆に攻撃的になったり(戦ったり)するのも、おおいに考えられることだろう。

そして、不安を感じる状況で「消極的」になるか「攻撃的」になるかは、人によってさまざまである。

たとえば、私達の友人のある医師は、患者と話している時はいつも落ち着いていられるのに、きれいな女の人を前にすると緊張してまったく口がきけなくなってしまう。

また、ある女性画家は、自分の作品展ではいつも堂々としているのに、顧客と代金の話をしたリ、支払いの催促をしたりする時は急に弱気になってしまう。

かと思えば、ほとんど同じような状況なのに、逆に「攻撃的に」なってしまう人もいる。

ある女性は、男の人の前で緊張するのが嫌なあまり、男性に対してわざと意地悪な態度をとるようになってしまった。

またある男性は、他人に貸したものやお金を催促する時、相手が「人のことを詐欺師扱いして!」と怒ってしまうほど、強引な態度になるという。

さらに、「消極的」になるか「攻撃的」になるかは、たとえ同じ人間であっても、状況によって変わってくる場合もある。

つまり、その場で要求されているものの種類(パフォーマンスの高さ、気の利いた会話、権力の行使など)や、その人が緊張や不安を感じる度合いによって、どちらの行動にスイッチが入るかが決まってくるのだ。

フランスの作家プルーストは、『失われた時を求めて』のなかで、コタール医師という登場人物のことをこんなふうに描いている。

コタール医師の優柔不断さ、内気さ、過剰なまでの愛想の良さは、いつもみんなの嘲笑の的になっていた。

ただし、彼にぞっこんだったウェルデュラン家の人々は別として。

それなのに、いったいどこの親切な御仁が、もっと冷たい態度をとるべきだと彼に忠告したのだろう?

確かに、彼の社会的地位を考えると、そのほうがずっと居心地がよいはずだ。

いずれにしても、本来の自分自身に戻れるウェルデュラン家にいる時を除いて、彼はどこでも冷たい態度をとるようになった。

口数も少なくなり、話をする時は断固とした口調をくずさず、わざと相手の気分を害するようなことを言ったりもした。

彼はこういう態度を、患者たちにも試してみた。

だが、彼に初めて会った患者たちは、以前の姿を知らなかったため、彼が生まれつき冷たい人間ではなかったことが判明した時には、かなり驚いた様子だった。

一方、ジャン=ジャック・ルソーは、著書『告白』のなかで、彼自身が<社会不安障害><社会不安>をごまかすための「仮面」を身に付けるに至った過程を、次のように書き記している。

「私は、自分ではどうすることもできないのだが、まったく馬鹿げているほどうじうじした内気な人間である。

そしてこの性質は、礼儀作法にはずれたことをしてはいないだろうか、と不安に感じる気持ちから生まれていた。

だからこそ私は、逆にそういう礼儀作法を踏みにじってやる決意をしたのだ。

こうして私は、辛辣で皮肉っぽい人間になることで、自分がみにつけることのできなかった礼儀作法を軽蔑してやろうとしたのである。」

この章では、私達は<社会不安障害><社会不安>を感じると<不自然な行動>をとってしまうことがある、ということについて述べてきた。

このようにして、他人とのコミュニケーションがぎこちなくなったり、<不安を感じる状況>を無理に回避または逃避しようとしたり、対人関係で極度に消極的または攻撃的になったりすることで、仕事や私生活などに悪影響を与える怖れがあることも、よくわかっていただけたと思う。

もちろん、こうした日常生活への影響の大きさは、感じる不安のタイプや強さ、<不安を感じる状況>に出会う頻度などによってまちまちである。

だが、生活への影響の大きさに違いはあっても、これら<不自然な行動>における最大の問題点は、いつも同じところにある。

つまり、私達は<不安を感じる状況>から逃れようとすればするほど、より強い不安を感じるようになってしまうのだ。

古代ローマの哲学者であり詩人でもあるセネカはこう言っている。
《人は、それをするのが困難だからやろうとしないのではない。

やろうとしないからそれをするのが困難になってしまうのだ》

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳