<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、実際にその状況に置かれる前に、すでにそれに対してネガティブな考え方をしてしまうことがある。
これは<予期不安>と呼ばれるもので、いわゆる<最悪のシナリオ>を作り出す原因となる。
つまり、何かが実際に起こる前から、起こりうる中でも最悪の仮説を頭の中で組み立て、「きっとそうなるにちがいない」と思い込んでしまうのだ。
ここで<予期不安>のパターンを三つ、事例とともに紹介しよう。
まずは、立食パーティに招待された男性の話。
テーブルに置いてあったグラスを手に取ろうとした瞬間、彼の頭のなかには次のような<予期不安>が生まれてしまった。
「もしここでぼくがグラスをつかんだら、きっと手が震えてしまう。
手が震えたら、みんなが僕に注目するだろう。
みんながぼくに注目すれば、僕がひどく緊張していることは一目瞭然だ。
パーティごときで緊張しているぼくのことを、きっとみんなは男らしくない、頼りない奴だと思うにちがいない。」
この男性は、まだグラスを手にしてもいないのに、周りから「頼りない奴」と思われるところまで克明に想像してしまっている。
これこそがまさに<予期不安>である。
また、ある女性は、レストランでこんなことを考えている。
もし今、私が、「すみません、やっぱりハンバーグをやめてパスタにしてください」と言ったら、きっとウェイターはむっとするでしょうね。
「え、いまさらご注文の変更ですか!?」とみんなに聞こえるような大声で怒鳴られ、私は店中から冷ややかな視線でみられてしまう。
みんなきっと、くすくす笑ったり、私を軽蔑の目で見たり、ウェイターに同情したりするんだわ。
結局、ウェイターは注目を変更してくれなくて、冷たくなった料理を仏頂面で運するんだわ・・・。
あるいは、「たとえ自分がどんな行動をとろうと、必ずよくないことが起こるはずだ」と思い込む<予期不安>もある。
何かをしようがすまいが、いずれにしても悪いことが起こるような気がして、どうすべきかまったく途方に暮れてしまうのだ。
そういう例のひとつとして、初対面の人達との接し方に悩むある女性の話を聞いて欲しい。
「どうしよう、あの人達の会話の輪に入っていこうかしら・・・。でももし今私が話しかけたら、あの人達は邪魔に思うかもしれないし、そうしたら私のことを「無礼な人だ」と思うでしょうね。
返事をしてもらえないかもしれない。
あるいは、私に何か悪意があるように勘違いされるかも。
じゃあ、このままここでじっと黙っていようか・・・。
でも、そうしたら私は会話にも入れない非社交的な人間だと思われてしまう。
「かわいそう」と同情されるか、もっとひどい時には軽蔑されてしまうでしょうね。
これまで、数多くの作家たちが、こうした<最悪のシナリオ>にとらわれてしまった登場人物たちの姿を、ドラマチックなストーリー展開で描き出してきた。
ただし残念なことに、いずれの場合においても、最後にはその人物は、社会的あるいは職業的な信用を失ってしまうのだが・・・。
もちろん、<最悪のシナリオ>が現実となる可能性は、まったくのゼロとは言わないが、ほとんどないといっていい。
だが不思議なことに、これほど当たる確率が低いのに、<予期不安>を感じてしまう人は何十回何百回と予想が外れても、懲りずにまた<最悪のシナリオ>を作ろうとするのだ。
まるで、ろくに当たった試しもないのに、なぜか人気がある占い師のように・・・。
不安は常にそこにある
まず、会社で営業職についているある女性の話を聞いて欲しい。
私、営業の仕事をしていると、いつも不安でしかたがないんです。
たとえば、大事なお客様と会う前は、「うまくいかないのではないかしら」と不安になり、お客様と会っっている最中は、「緊張を見抜かれたらどうしよう」と不安になり、おきゃくさまと会った後は、「今回のことが影響してお客さまに愛想を尽かされたらどうしよう」とまた不安になるんです・・・。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人が、苦手な状況をネガティブにとらえてしまうのは、何も本人がその状況に置かれている時だけに限らない。
この営業職の女性も、クライアントに会っているその時だけではなく、その前と後にもネガティブな考え方をしてしまっているのだ。
そこで次からは、不安を感じる状況でのものの見方について、その状況に置かれる「事前」、「最中」、「事後」という時間の経過別に三つに分けて考えていきたい。
なお、これら三つの不安の違いについては表4-2にもまとめてあるので、合わせて見て欲しい。
不安な状況に置かれる前(事前の不安) | 予期不安 | 起こりうる<最悪なシナリオ>を想定する |
不安な状況に置かれている時(最中の不安) | 冷静な思考と分析の停止 | 過剰なまでに用心深くなる、現状よりも自分の不安にばかり気をとられる |
不安な状況が通り過ぎた後(事後の不安) | 恥と後悔 | 自分がしてしまった失敗について、ささいなことでもいつまでもうじうじと考え続け、どんどんネガティブな考えにとらわれていく |
表4-2 時間の経過別にみる3つの<社会不安><社会不安障害>
1.事前の不安
まず、<事前の不安>から見て行こう。
<不安を感じる状況>に置かれる前から不安を感じてしまうのは、前述した<予期不安>のせいである。
<予期不安>を感じる人は、<不安を感じる状況>に実際に身を置かれる前から、「そんなことをしてもうまくいくはずがない」、「私にはそれをやれるだけの能力はないわ」、「あの人達は私には答えられない質問をしてくるにちがいない」、「こんなことをしたら彼らはきっと嫌な顔をするだろう」など、ネガティブな考えを抱いてしまうのだ。
では、なぜ彼らは<予期不安>を感じてしまうのか?
それは、実際に<不安を感じる状況>に立ち向かう前に、心の準備をしておこうとするためである。
とくに、社会不安障害の人は<予期不安>を感じる傾向が非常に強く、そのせいで「何かよくないことが起こるのではないか」、「身の破滅を招く大惨事に遭うのではないか」と常にびくびくしながら過ごしている。
だが、あがり症、内気、回避性人格障害などの他の<社会不安>でも、ここまで重症ではないにしても、同じような傾向があると言えるだろう。
前述したように、<予期不安>は繰り返される。
彼らは、最悪の仮説を積み上げることで、悪夢のストーリーを作り出す。
しかも、そのストーリーは相当に現実離れしていて、実際にそうなることはほとんどない。
にもかかわらず、<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、次もまた懲りずに似たようなストーリーを作り上げてしまうのだ。
ここで、そういう<予期不安>を繰り返してしまう人の苦悩の声に耳を傾けてみよう。
シシュフォスの神話を知ってるかい?山頂から転がり落ちる岩を、永久に押し上げ続ける責め苦を負った男の話だよ。
まるでぼくはその男そのものさ。
だって、同じ苦しみをエンドレスで繰り返してるんだから・・・。
つまり、いつも似たような不安を感じてしまうのさ。
たとえ今回は不安が当たらなくてすべてうまく進んだとしても、次こそは不安が的中してとんでもないことになってしまうんじゃないか、と思ってしまう。
だって、今回はたまたま運がよかったのだとしたら、次もそうなるとは限らないだろう?
だから毎回、「うまく行きっこないよ」とか、「ぼくにはそんな能力はないよ」などと口にしてしまうんだ。
周りの人達は、ただの口癖だと思ってるみたいだけど、僕は毎回本当に不安を感じてるんだよ。
2.最中の不安
次は、不安な状況に置かれた時の、<最中の不安>について考えていこう。<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、<予期不安>の段階では、まだものごとを論理立てて考えることはできていた。
ところが、ここからはやや状況が異なってくる。<最中の不安>の特徴は主に二つ。
まず、本人の思考回路が停止して、物事を論理的に考えられなくなってしまう事。
そしてもうひとつは、周りの環境に対して過剰なまでに敏感になってしまう事。
このため、こういう人達は、ほんのささいな出来事を大げさに捉えたり、ちょっとしたことを重大事だと思い込んだりしてしまう。
たとえば、他人と会話をしている時に、相手がちょっと黙り込んだだけで「私と一緒にいて退屈しているんだわ」と意気消沈したり、相手が笑顔を浮かべたのを見て「軽蔑されてしまった」と傷ついたりする。
ではここで、<不安を感じる状況>に置かれた時の心境について、二人の人の話を聞いてみよう。
「口述試験の時にはいつも祈るような気持ちになるよ。
つまり、ぼくみたいにあがり症の生徒に対して、短気になってイライラしたり怒ったりせずに、じっくりと時間をかけて接してくれる先生に当たればいいのにって・・・。
緊張がとけて気持ちが落ち着いてくるまで、だいたい十五分くらいかかるかな。
それまでのぼくは、話の内容は支離滅裂、態度もそわそわと落ち着かないし、先生の何を言われているかさえわからなくなってしまう。
まるで、できそこないの劣等生のようにね。
だから、先生には、「こいつはろくに勉強もしてこなかったからパニックになっているんだな」と即断したりせず、「あがり症で緊張しているだけなんだな」と理解してもらいたいんだ。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人は、不安な状況に置かれた時に自らの<身体反応>にばかり気を取られてしまうことも多い。
「不安を感じる状況に置かれると、他人の話が耳に入らなくなったり、周りのものがみえなくなったりしてしまうの。
だって自分のことばかりが気になってしまって・・・。
悪い病気じゃないかと思うほど動悸が激しくなったり、声がかすれたり、脚が震えたり、手のひらにびっしょりと汗をかいたりしてしまうのよ。
3.事後の不安
最後は、<不安を感じる状況>から抜け出せた後の不安、つまり<事後の不安>である。
しかし、ここでひとつ疑問が生まれる。
その状況に置かれる前から予期不安を感じていて、その状況に置かれている間も緊張や不安を感じていたのなら、その状況からようやく抜け出せた今、ふつうは不安ではなく<安堵>を感じるものではないのだろうか?
いや、残念ながら答えは「いいえ」である。
<社会不安障害><社会不安>を感じる人達は、一部の例外はあるものの、<不安を感じる状況>をどうにかして切り抜けた後も、やはりネガティブな考え方をしてしまうのである。
こういう人たちは、その時の状況のことを、まるでビデオテープを巻き戻すように、何度も繰り返し、微に入り細にわたって思い出そうとする。
そういう<事後の不安>を感じている男性の話に耳を傾けてみよう。
「緊張する状況をどうにか切り抜けられた後も、その時のことを繰り返し思い出してしまうんだ。
「あの時、ああ言えばよかった」、「あんなこと言わなきゃよかった」、「こうしておけばよかった」、「あんなことしなけりゃよかった」というふうにね・・・。
何度も想い出すにつれて、一度目より二度目、二度目より三度目のほうが、いろいろなことに気がつくんだ。
つまり、次々とたくさんの失敗や問題点が見つかっていくんだ。
<事後の不安>が何かの役に立つことはほとんどない。
「失敗した」と思う体験を繰り返し思いだすのは、まさに百害あって一利なしである。
たとえるなら、それはまるで弁護士も証人もつけないで裁判にのぞむようなものだ。
そこには、第三者の意見がまったく介入しないので、本人にとってもっとも厳しい判決が下されることは歴然としている。
結局、「ああ、ぼくはなんてダメな人間なんだ」、「私なんか無能で、何の役にも立たない」と、とことんネガティブな見方をしてしまうのが関の山だ。
しかも、こうした捉え方を繰り返し行うほど、ますますネガティブな見方をするようになり、どんどん不安が強くなってしまうのである。
不安が現実になることはあるか
ところで、<社会不安障害><社会不安>を感じる人が思ったこと、考えたことが実際に起こる可能性はどのくらいだろう?
先ほど、<予期不安>はほとんど現実化しないと述べたが、その可能性はまったくのゼロと言えるのだろうか?
たとえば、飛行機恐怖症の人が、「自分が予約した便が墜落してしまったらどうしよう」という不安を感じても、そのせいで墜落事故が起こることなど決してない。
また、閉所恐怖症の人が、「エレベータが故障してドアが開かなくなってしまったら・・・」という恐怖を感じても、その恐怖が機械の故障を引き起こすことなどありえない。
これらのケースでは、たとえ<予期不安>を感じたからといって、その<最悪のシナリオ>が現実化する可能性はゼロだ。
つまり、不安が<現実>になることはありえないのである。
では、<社会不安障害><社会不安>の場合はどうか。
実は、このケースで<最悪のシナリオ>が現実化する可能性は、まあめったにないとはいえ、まったくのゼロとは言い切れないのである。
たとえば、社会的地位が高い人の前で赤面するのを不安に感じている人は、そのことばかり気に病んでいるせいで、「ああ、また顔が赤くなる」と思うと実際にそうなってしまうことがある。
また、パーティで他人と話をするのが苦手な人は、その場に溶けこもうとする努力を怠るせいで、誰からも相手にしてもらえなくなるかもしれない。
その結果、「自分は非社交的な人間だ」と信じ込むようになり、また実際に周りからもそう思われてしまうのだ・・・。
こういう現象は、心理学用語で「予言の自己成就」と呼ばれている。
要するに、<社会不安障害><社会不安>に関していうなら、考えていたことが実現してしまう可能性はないわけではないのである。
さらに、強い<社会不安障害><社会不安>のせいで、本人の生活や人生に多大な影響を及ぼしてしまうこともある。
人間関係に不安を感じることが原因で、精神的にも経済的にも大きな損害を被ってしまうのだ・・・。
ただし、こういう不安が私達に及ぼす影響の度合いは、<社会不安障害><社会不安>の症状や重度によっても異なってくる。
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳