ニ十八歳の女性、サンドリーヌは、うつを患って他の病院に通院していたが、担当医師からの紹介であるクリニックへやって来た。
うつの治療中に<社会不安障害>の症状がみられることが判明したからである。
初めての面談で、彼女はこんなことを言っていた。
「私、これが治せるものだとは知りませんでした。
こういうのは引っ込み思案の一種で、自分の性格から来るものだと思い込んでいたから・・・。」
家族、会社の同僚、親しい友人を除くと、彼女はどんな人に会うにも強い不安を感じていた。
そのせいで、外出先の選択肢は少なく、行動範囲は極端に狭かった。
たとえば彼女は、店員と言葉を交わしたくないために、個人商店ではなくスーパーマーケットですべての買い物を済ませていた。
パンやチーズは専門店で買う方がずっとおいしいということを知っていながら・・・。
さらに、マンションのエレベーターホールで住民と鉢合わせすることのないよう、わざとゆっくり歩いたり、郵便受けの前で郵便物に読みふけるふりをしたりしていた。
そして当然のことながら、知っている人が誰もいないパーティへの誘いはことごとく辞退した。
ある時、彼女は子ども時代の思い出についてこう語ってくれた。
「私、子どもの頃は少しも内気ではなかったんですよ。
むしろ、活発でおしゃべりな方でした。
でも心の奥底では、「私は他人から好かれていないのではないか、受け入れられていないのではなないか」という不安がずっとあったみたいです。
大人になってから、そのことに気付きました。」
小学生時代のサンドリーヌは成績優秀で、両親や教師にすすめられて飛び級をしたほどだった。
好奇心旺盛で、何事にも積極的な子供だったという。
両親について、彼女はこんなふうに言っている。
「母は引っ込み思案で、私達の送り迎えや買い物以外に、ほとんど外出をしませんでした。
いつも家にいて、家族の面倒を見ることに生き甲斐を感じていたようです。
母は、私たち兄弟をとても可愛がってくれました。
あまりにも大事にされすぎて、少し息苦しく感じるほどでした・・・。」
いっぽう、サンドリーヌの父親は、口数が少なく、しつけに厳しくて、非常に頑固な人だった。
母親と子供たちは、父親の小言にビクビクしながら暮らしていた。
父親は感情を外に表わさず、子ども達を誉めたり励ましたりすることもなかった。
でも、ある時、こんなことがありました。
週末に家族そろってデパートへ出かけた時のことです。
偶然にも、父の上司にばったり出くわしたんです。
父は卑屈なまでにへりくだり、猫なで声で「はい、おっしゃる通りです、部長」と言ってぺこぺこしていました。
私達は、見てはいけないものを見てしまった、というような、落ち着かない気持ちになりました。
上司が立ち去った後しばらくの間、父は無言でその場に立ち尽くしていました。
おそらく、家族の前で見せるべき威厳を取り戻そうとしていたのでしょう。
でも、もう遅すぎました。
私達は父の弱点に気付いてしまいました・・・。
ただ、こんなことがあったなんて、今まですっかり忘れていました。
先生に子どもの頃のことを話しているうちに、ふと思い出したんです。
ところが、高校に入った途端、彼女を取り巻く状況はがらりと一変してしまった。
教科ごとに担当教師が変わることへのとまどい、仲の良い友人と学校が離れてしまった心細さから、彼女は自分の殻にとじこもるようになっていった。
新しい友人はほとんどできなかった。
サンドリーヌは頻繁に腹痛や頭痛を訴えたが、どんな病院でも原因はわからなかった。
彼女に転校をすすめる医師もいたが、父親の反対にあってかなわなかった。
「高校生活で覚えていることと言えば、不安と恐怖の思い出だけです。
私はいつでも、どこにいても目立たないようにしていました。
他人に見られるのが嫌で嫌でしかたがなかったからです。
そして、そんな風に思ってしまう自分のことが嫌いでした。
そしてある日、人生で最悪の出来事が起こりました。
二年に進級したばかりの頃、物理の教師から教壇のほうへ出てくるよう命じられました。
すると先生は、クラスメイトたちが見ている前で、答えられないような意地悪なことばかりを質問してきたのです。
クラスメイトはみんな笑っていました。
先生も、してやったりとばかりにニヤニヤしていました。
学校から自宅へ帰ると私は何も言わずに何時間も泣き続けました。
母は慌てふためいて医者を呼んでくれましたが、私はお医者さんに対して何も話せませんでした。
翌日から私は登校できなくなり、二週間も自宅に引きこもっていました。
次に学校へ行った時には、もう居場所はどこにもありませんでした。
以来、ずっと孤立したまま高校生活を過ごしたのです。
それからというもの、私はどこにいても不安を感じるようになりました。
そばに他人がいると、その人が急に自分をあざ笑い始めるような気がするのです。
その苦しみは、今でも続いています。」
サンドリーヌの不安は、その後も回復するどころか、悪化の一途を辿った。
大学入学試験では、口述テストの結果は散々だったものの、筆記テストの高得点がそれを補って見事合格することができた。
だが大学生活は、彼女にとっては針のむしろに座っているような日々だった。
構内では、人目につかないよう、常に廊下や講堂の隅の方に居場所を見つけていた。
だが、彼女は家族や身近な人達に決して自分の悩みを打ち明けようとはしなかった。
そのため、休暇中や週末にいつもひとりでいようが、友達と外出する様子がまったくなかろうが、誰も彼女のことを心配する者はいなかった。
「私はいったい何を怖れているのでしょう?
自分にもよくわかりません。
他人の視線?
ええ、そうですね・・・。
確かに、どこにいても、何をしていても、私は他人から見られるのが怖いんです。
特に、自分が評価の対象になっていると感じたり、自分の本質や考えを見抜かれてしまうと思ったりした時は・・・。
たとえば、人前で小切手にサインをしたり、道を尋ねたり、美容院で希望の髪型を告げたりする時にも、ものすごく緊張してしまうんです。
そのたびに私は、そうしなくても済むような状況を作ったり、不自然な行動をとったり、言い訳をでっちあげたりしてきました。
でも、そんなことにも疲れ果ててしまったんです。
さらに彼女は、クリニックを初めて予約する時にも、かなりの怖れを感じていたことをうち明けてくれた。
十回も電話をかけたのに、十回とも呼び出し音が鳴り始めた途端に受話器を置いてしまったという。
しかも、ようやく予約をとることができても、クリニックの入り口の前で何度も入るのをためらったのだそうだ。
「だって、先生の貴重なお時間を無駄にしてしまうかもしれない、と不安になったんです。
それに、せっかく来たのに、「あなたの症状はたいしたことありません。
あなたには何もしてあげられません」と言われてしまったらどうしようと思って・・・。
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳