<社会不安障害>が本人に及ぼす影響は非常に大きい。

時には、その人の人生を大きく左右してしまうほどである。

まず、<社会不安障害>の人は世間から誤解を受けやすい。

つまり、本来のものとはまったく違う性格だと思われてしまいがちなのだ。

例えば、誰かと話をする時に緊張で顔がこわばれば「冷淡な人だ」と思われ、自分の弱さを見抜かれたくなくて距離を置くと「お高くとまってる」と言われる。

一部の<社会不安障害>の人達には、「自分の恥をさらすくらいなら、気どってると思われるほうがましだ」と、わざとそういう性格を演じる人もいるくらいである。

私達が知っている<社会不安障害>の人に、とびきりの美女がいた。

あまたの男性からあの手この手で言い寄られていたが、彼女にはそれが苦痛だった。

いつか自分の<社会不安障害>がバレてしまうのではないかと怖れ、わざと冷たい態度をとっていた。

すると、そのつれなさと美貌の相乗効果が功を奏したか、「結局、自分には高嶺の花だったのだ」と、男性たちを諦めさせることに成功した。

だがそのうち、彼女はある男性とゴールインした。

彼は、ルックスも社会的地位もパッとしない人物だったが、彼女のよき理解者となり、彼女の生き方に合わせる忍耐強さも備えていた。

彼女はパートナーに支えられながら、「自分が思うほど、私は他人より劣っていないのかもしれない」と徐々に自信を取り戻していった・・・。

さて、めでたし、めでたし、と言いたいところだが、この話には後日談がある。

自信を回復した途端、彼女はパートナーの男性では満足できなくなり、さっさと離婚してしまったのだ・・・・。

<社会不安障害>の人が受けやすい誤解についての話に戻ろう。

彼らは、周りから攻撃的な人間だと思われることもある。

そういう人は、びくびくしているのを見抜かれて馬鹿にされるくらいなら「乱暴な奴だ」と思われた方がましだと思い、わざと攻撃的な人間を装っているのだ。

<社会不安障害>の人が自らの弱さを見せまいとする傾向は強く、家族にさえ何も言わない人も少なくない。

ある女性は、仲の良い双子の姉にさえも「きっと理解してもらえないから」と<社会不安障害>であることを言わなかった。

ところが実はその姉も<社会不安障害>であることを同じ理由から妹にひた隠しにしていたのである。

また、ある若い男性は、<社会不安障害>であることを隠すために、頭をスキンヘッドにしてパンクロッカーのような格好をするようになった。

彼は言う。《こういう格好をしていれば誰もおれのほうを見ようとしない。

それでこっちも気が楽になるんだ》。

彼は、周りを威嚇することで、自分自身の不安から逃れられると感じたのである。

だが、<社会不安障害>が本人に及ぼす影響は、「他人から誤解を受けやすい」ことだけにとどまらない。

職業を選択する岐路に立った時、この病のせいで運命が左右されることもある。

例えば<社会不安障害>の人は、同じ医療の現場を目指すにしても、麻酔医や放射線技師など、患者さんと直接対話をしなくて済む分野を選ぶ人が多い。

またある男性の場合、いったんは幼少の頃からの夢だった教職に就いたものの、<社会不安障害>のせいで同僚や父兄との人間関係がうまくいかず、泣く泣く工場のガードマンに転職してしまったのだ。

<社会不安障害>の人は、周りのどんな小さな変化も、どんなささいな出来事も決して見逃そうとしない。

他人が無意識に発した言葉、行動、視線、しぐさを敏感にキャッチして、そこに自分を批判する意図が隠れていないか探し出そうとする。

彼らは、「他人は自分に厳しい評価を下すはずだ」と思い、「もし私の弱さがバレてしまえば、きっと攻撃され、軽蔑され、嘲笑される」と信じ込んでいる。

このようにして、細かいことにいちいち意味づけをするために、しまいには<妄想症(パラノイア)>とみなされるようになってしまう人もいる。

あるクリニックにも、<社会不安障害>が極まって<妄想症>の症状を示し始めた女性の相談者がいた。

ある日のこと、彼女が診察室に入って来た時、医師はデスクから少し離れたところに椅子を置き、彼女にそこに座るよう促した。

医師のこの行為にはきちんとした理由がある。

実は、彼女の前に診察を受けていた人が、デスクの上の書類に記入しなければならなかったので、椅子をデスクのそばに近づけてあったのだ。

だから医師は、元々あった位置へ戻す意味で、椅子をデスクから離したのである・・・。

その日の診察中、彼女はずっと神経をピリピリ尖らせたままで、医師の問いかけにもろくに答えてくれなかった。

それでも根気強く彼女と向き合った結果、ようやくその理由が判明した。

なんと彼女は、椅子の位置を変えた医師の行為を見て、「先生は私を拒絶している」と思い込んだのだ。

彼女はこう思い悩んでいた。「先生は私のことが嫌いなのだ」、「いや、もしかしたら私の体臭がきついから、遠くへ座らせようとしたのかも」。

彼女は、これと似たようなことを毎日のように繰り返しているのである。

また別の男性は、手が汗ばんでいるからという理由で、他人と握手をすることに大きな不安を感じていた。

彼は、誰かと出会った時に、もし相手が握手を求めてきたら「どうしてこの人はわざと僕の嫌がることをするんだろう。僕のことが嫌いなんだろうか」と思い、逆にもし相手が握手を求めてこなかったら、「どうしてこの人はぼくと握手をしようとしないんだろう。

僕のことが嫌いなんだろうか」と思ってしまうのだ。

※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
      クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳