<社会不安障害><社会不安>を感じる人達は、みんな異口同音にこう言う。「いったい自分の頭のなかで何が起きているのでしょう?
どうして人前に出るとこうなってしまうのか、自分にはさっぱりわからないんです」。
彼らは、どうして他人の前で赤面してしまうのか、声が出なくなってしまうのか、手が震えてしまうのか、逃げ出したくなってしまうのか、そうしても理解できないのである・・・。
では、<社会不安障害><社会不安>を感じている時、彼らの脳ではいったい何がおきているのだろうか?
脳のふたつのはたらき
私達の脳は、今ここでこうしている瞬間もさまざまにはたらいている。
たとえとくに難しいことをしているわけではなく、レストランのドアを開けた瞬間や、道を歩いていて知人にばったり出くわした時にも・・・。
そういう時の脳のはたらきは、次に挙げるように主に二つに分けられる。
その一、情報を選別して受け取る。
その二、受けとった情報に意味づけをする
そして実は、私達が感じる<社会不安障害><社会不安>は、このように脳がはたらいている過程において引き起こされているのである。
ものの見方は人によって異なる
<ものの見方>や<考え方>は人によって大きく異なる。
たとえ同じ情報をキャッチしても、それにどう意味づけをするかはその人次第なのだ。
具体例を挙げよう。
講演を終えた後、聴衆のひとりから質問を受けた講演者は、その瞬間にいったいどのように考えるだろう?
「よかった。ぼくの話に興味を持ってくれたんだ」という満足感か、「こんな質問をするなんて、なんて意地が悪い人なんだ」という怒りや苛立ちか、あるいは「ああ、どうしよう。こんな質問にうまく答えられるわけがないよ」という強い不安か・・・。
これらの考えは、もちろん講演者が意志の力で選択したものではない。
本人は、心の中に自然に生まれた考えをただ黙って受け入れるしかないのだ。
そして、どうのような考えが心に浮かんでくるかは、その人が<社会不安障害><社会不安>を強く感じるかどうかにおおいに関わってくる。
たとえばこの講演者の場合、三つ目に挙げたように「こんな質問にうまく答えられるわけがない」という考え方をする人が、もっとも<社会不安障害><社会不安>を感じやすいタイプなのである。
実際、<社会不安障害><社会不安>を感じる人のものの見方は、一種独特な世界観を示している。
たとえば、ある男性は、女性と話をする時はいつも「この人はぼくのことを見下している」と感じてしまう。
別のある女性は、友達に貸したお金を返してくれるよう要求する時、「きっとケチだと思われているわ」と考え、また別の男性は、社内会議で発表をしている時、「誰もぼくの話に興味を持ってくれない」と思い込んでしまう・・・。
つまり、みんなネガティブな思い込みが強いのである。
これまで長い間、こういう独特な考え方をしてしまうのは、その人が<社会不安障害><社会不安>を強く感じるせいだと思われてきた。
ところが最近になって、実はこういう考え方をするのは「社会不安障害や社会不安を感じる結果ではなく、「社会不安障害や社会不安を引き起こす原因」そのものなのではないか、ということがわかってきたのである。
つまり、私達は不安を感じるからネガティブな考え方をするのではなく、ネガティブな考え方をするせいで不安を感じてしまうのだ。
そう考えると、私達が日頃抱いている感情についても、納得のいく説明がつくのではないだろうか?
たとえば、夜遅くに隣の部屋からテレビの音が聞こえてきた時、私たちは音が聞こえるから腹を立てるのではなく、「なんて常識のない人間なんだ」と考えるから腹が立つのである。
また、恋人から長い間連絡がなかった時、連絡がないことが悲しいのではなく、「彼は私になんかもう興味がないんだわ。私のことなんか忘れてしまったんだわ」と考えるから悲しみを感じるのだ。
紀元一世紀の哲学者もこう言っている。
《君が外部の出来事に悩まされるとしたら、君をを悩ますのはその出来事そのものではなく、その出来事について君が抱く評価なのである》
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳