私たちは人と関わりながら生きています。

そして、そのなかにはもちろん緊張や不安があります。

「自分はちゃんとした人に見えているだろうか?」

「自分はこの場に合ったふるまいができているだろうか?」

「人は自分のことを変だと思っていないだろうか?」

というような不安を感じたことがない、という人はほとんどいないと思います。

少なくとも、自分の人生がかかったような重要な局面では誰もが感じる不安でしょう。

でも、そのような不安が、「人生がかかったような重要な局面」でなくても、日常生活のほとんどを支配してしまうというタイプの病気があります。

それが、「社会不安障害」です。

「社交不安症」「社交不安障害」「社交恐怖」「社会恐怖」とも呼ばれますが、いずれも全く同じ病気のことを意味します。

人とのかかわりの中での不安が日常生活の全般に及んでしまうと、ふつうに暮らしていくことすら難しくなります。

まさに不安が生活を支配するような状態になり、ひきこもりという形につながる人もいれば、職場不適応を起こす人もいます。

そして何よりも、本来は人とのかかわりの中からえられるはずの満足や喜びが縁遠いものになってしまいますので、常に孤独を感じることになります。

社会不安障害は、実は「取り扱い注意」の病気です。

何故かと言うと、「誰もが感じるタイプの不安」の延長線上にあるものだからです。

社会不安障害を持つ人の多くが、自分のことを「気にし過ぎ」「自意識過剰」と捉えています。

つまり、「自分」が気にし過ぎている、自意識を強く持ちすぎている、というふうに考えているのです。

「自分」はどこかおかしい、というのが社会不安障害の人の典型的な感じ方です。

でも実際には、「自分」が気にし過ぎているのではなく、社会不安障害という「病気にかかっていて、その病気の「症状」が対人不安なのです。

インフルエンザで高熱が出たときに、「自分」は体温が高すぎると感じる人はいないでしょう。

病気の「症状」として高熱が出ていることを知っているからです。

社会不安障害における不安も、実はインフルエンザの高熱と同じ性質のものです。

同じ病気であっても、インフルエンザとは異なり、社会不安障害は、治していこうとしない限りなかなか治らない病気です。

病気そのものが放置すると悪循環に陥る構造になっているからです。

でも、反対に言えば、治していこうと思えば治せる病気なのです。

治していくためには、まず、「病気」として認識し、どんな病気であるかをきちんと学んでいく必要があります。

「気にしすぎ」「自意識過剰」と、自分の性質のように思っている限り、治らないのです。

「病気」として見るか、「自分の性質」として見るか、という違いをわかりやすくするために、社会不安障害を「人」であるかのように考えてみましょう。

どういうふうに考えるのかというと、頑固で自己中心的で、ネガティブな側面ばかりを誇張する「社会不安障害」という人が自分の邪魔ばかりしている、というふうに考えてみるのです。

たとえば、人と話をしようとするときに、「お前の話し方は変だぞ」「相手はお前のことをバカだと思っているぞ」「お前はおどおどしているぞ」「お前の声を聞いてみろ、ひどくふるえているじゃないか。恥ずかしいことだぞ」「お前は、全く空気が読めていないぞ」「お前みたいな恥ずかしい人間は、人付き合いする価値がないぞ」・・・というように「社会不安障害」が耳元でささやき続けるのです。

たまったものではありませんね。

ところが、「自分の話し方が変だと思う」「相手は自分のことをバカだと思っていると思う」「自分がおどおどしていると思う」「声が震えるのがはずかしいことだと思う」「空気が読めていない」「恥ずかしい人間は価値が無い」という感じ方は、すべて、「社会不安障害」の症状として現れるものであり、「社会不安障害」が引き起こしていることなのです。

「社会不安障害」は、自らが引き起こしている問題を、患者さんのせいであるかのように見せることが得意です。

患者さんは「社会不安障害」の言いなりになってしまっており、本当に自分が悪いかのように感じています。

でも、実は患者さんは、「社会不安障害」の被害者なのです。

こうやって考えてみると、「社会不安障害」との縁は切ったほうがよさそうです。

付き合っていても何もえることがないからです。

「もう、社会不安障害のせいで可能性を制限されるのはこりごりだ。

社会不安障害のせいで、自分がだめな人間であるかのように思い込み続けるのはこりごりだ。

社会不安障害のせいで、自分がだめな人間であるかのように思い込み続けるのはこりごりだ」というふうに伝え、別れてみましょう。

「社会不安障害」は、「何を言っているんだ。私たちは一体のもので、離れることなんてできないんだよ」と言うでしょう。

「社会不安障害」には説得力がありますので、それを信じそうになるでしょう。

でも実際には、離れることはできるのです。

「社会不安障害」はなかなかしつこいですから、急に切り離すようなことはできませんが、まずはある程度距離をおいて客観視してみます。

すると、いつも「社会不安障害」のどのようなトリックに騙されてきたのかをだんだんと理解していくことができるでしょう。

本当は自分にはもっといろいろなことをする能力があるのに、あたかも能力がないかのように思い込ませるのが「社会不安障害」は本当に上手なのです。

そんな「社会不安障害」のトリックを見破る事が出来れば、絶縁することはできなくても、大した影響のないちっぽけな存在にしていくことができます。

本サイトでは、「社会不安障害」という病気のトリックを一緒に学んでいきます。

「社会不安障害」に支配される日々に終止符を打って、自分が人生の主人公になるためには、まず「社会不安障害」について正確に知る必要があります。

正確に知ってみれば、何のことはない、単なる病気にすぎず、自分の人生を支配させるような大物ではないということがわかると思います。

ご自分が「社会不安障害」という病気なのかどうかがわからない、という方も多くいらっしゃるでしょう。

「自分の場合は病気ではなくて単なる気にし過ぎだ」と思われる方にも、ぜひ本サイトをお読みいただきたいと思います。

ご自分が社会不安障害という病気であることに気づくかもしれませんし、そうでなくても何かしらお役に立つ内容があるはずです。

参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著