社会不安障害を持つ本人は、少なくとも大人の場合、自分の恐怖が不合理なものであるということを頭では理解しているものです。
頭では分かっているのだけれども気持ちと身体がコントロールできない、というのが社会不安障害のときのイメージで、自分の恐怖が合理的なものだと本気で信じている場合には違う診断を考えたほうがよいでしょう。
また、恐怖が客観的に見ても合理的だと思われる場合には、社会不安障害とは呼びません。
たとえば、予習していない授業で当てられることを恐がるというのは合理的な不安ですし、自分の職がかかっているような会議で他人の目が気になって緊張するのも合理的な不安です。
また、吃音などの症状のある人が、「人前で話すと笑われるのではないか」と感じることは、症状に直接関係した合理的な不安であり、社会不安障害に特有の不合理な恐怖とは別のものです。
なお、子どもの社会不安障害の場合には、自分の恐怖が不合理なものだということを必ずしも認識しているわけではありません。
※参考文献:対人関係療法でなおす社交不安障害 水島広子著