社会不安障害の治療には、認知行動療法と薬物療法(SSRI、MAOI、ベンゾジアゼピン系抗不安剤、β遮断薬)が用いられます。
SSRIはセロトニン・トランスポーター(セロトニン再取り込み部位)に結合し、セロトニンの神経終末への取り込みを阻害することにより、シナプス間隙のセロトニン濃度を増加させます。
動物実験では、脳内微小透析実験によりシナプス間隙のセロトニン濃度の変化を細胞外セロトニン濃度の変化として推定することができます。
同様の実験で、MAOIは脳内のセロトニンのみならず、ドーパミン、ノルアドレナリン(これらはモノアミンとして総称される)の細胞外濃度を増加させます。
SSRIとMAOIに共通する作用は細胞外セロトニン濃度の増加であり、細胞外セロトニン濃度増加作用すなわちセロトニン神経伝達促進が、これらの薬物の社会不安障害に対する治療効果の作用機序であると考えられます。
しかし、一体脳のどの部位で増加したセロトニンが作用することにより不安症状が改善するのでありましょうか。
ヒト脳における神経伝達を検討することは現時点では不可能であるため、SSRIの作用機序解明の糸口をヒト」を対象とした研究から得ることは困難であり、脳内の神経伝達物質の変化を詳細に検討できる動物モデル研究が解明のために必要です。
SSRIの社会不安障害に対する作用機序を不安の動物モデル研究の結果から推定する
現時点では、ヒト以外の霊長類でも社会不安障害の動物モデルはないため、そのようなモデルを用いてSSRIの作用機序を検証することはできません。
そこで、疾患モデルではなく、要素的な症状モデルとして恐怖条件付け(conditioned fear stress:CFS)モデルという不安・恐怖の動物モデルを用いて研究者らはSSRIの作用機序を解明してきました。
CFSはパブロフの古典的条件付けの理論にもとづいておこなわれ、その実験方法は非常に簡単であるとともに得られる結果の再現性は高いです。
まず、ショック箱でラットに電撃ストレス(フットショック)を負荷することにより、電撃と同時に提示された音や光あるいはショック箱に条件づけをおこないます。
らっとやマウスを再度同じ条件刺激に曝露する操作により、フットショックを加えなくてもラットは無動のまま身体をすくませるという防御反応(freezing)を示します。
freezingは恐怖・不安の指標とみなされ、freezingが多く出現するほど不安・恐怖の程度は強く、freezingが少なく出現するほど不安・恐怖の程度は弱いと考えられます。
再曝露の際には身体的刺激を加えないため、CFSは純粋な情動ストレスあるいは心理的ストレスと考えられます。
CFSにより、freezing以外にもストレス・不安・恐怖・緊張で引き起こされる様々な生理学的・内分泌学的変化がラットに生じます。
CFSでは再曝露の際に痛みなどの身体的刺激を伴わないため、CFSによって惹起された脳内の神経伝達物質の変化を情動に直接関連付けることができます。
一方、従来のストレス研究でよく用いられてきた拘束ストレス、電撃ストレス、浸水ストレス、寒冷ストレスなどの身体的ストレスをラットに負荷した時の脳内の変化については、情動変化によってもたらされたのか、身体刺激によってもたらされたのかを結論することはできません。
セロトニン代謝の変化をセロトニン神経伝達の指標として用いてCFSの影響を検討したところ、多くの脳部位のなかでも特異的に内側前頭前野で、CFSによるセロトニン神経伝達の亢進が認められました。
ショック箱に対する嫌悪条件付けを反復するとfreezingは増強して出現するが、不安・恐怖の増強とともにセロトニン神経伝達の亢進は内側前頭前野にとどまらず、側坐核や扁桃体にも拡大します。
不安・恐怖の獲得と発現において、とくに扁桃体が中心的な役割を果たしていることがCFSを用いた動物およびヒトの研究で明らかにされており、不安・恐怖における扁桃体セロトニン神経伝達の機能的役割は注目されます。
CFSにおけるSSRIの抗不安作用
CFSによって惹起されるfreezingを不安・恐怖(予期不安ともいえる)の指標としてSSRIの効果を検討したところ、SSRIはfreezingを用量依存性に抑制しました。
この効果はフルボキサミンとcitalopramという2種類のSSRIで確認されました。CFSによって惹起されるfreezingは、SSRI以外にもセロトニンアゴニスト、MAOI、セロトニン前駆物質などのセロトニン神経伝達を促進する薬物で抑制されることから、セロトニン神経伝達の促進がCFSを抑制すると考えられます。
なお、コンフリクト試験や高架式十字路などの従来の不安の動物モデルでは、SSRIは抗不安作用を示すことはなく、この点が不安の動物モデルを用いたSSRIの作用機序解明を阻んだ主要因でした。
したがって、CFSでSSRIが用量依存性の抗不安作用を示したことは、研究を進展させるうえで重要な発見です。
CFSに及ぼすSSRIの効果を、freezingと細胞外セロトニン濃度の変化を同時に観察することにより、研究者らはSSRIのCFSに対する効果をさらに詳細に検討しました。
SSRI投与は内側前頭前野で細胞外セロトニン濃度を増加させるが、CFSを負荷すると細胞外セロトニン濃度はさらに上昇し、並行して不安・恐怖行動であるfreezingは減弱しました。
すなわち、CFSで惹起されるセロトニン放出をSSRIはさらに増強して、不安・恐怖を減弱させた可能性が考えられます。
しかも時間経過を詳細に検討すると、CFSへの曝露によってはじめにfreezingが出現し、細胞外セロトニン濃度が徐々に上昇するにしたがってfreezingは消失しました。
SSRIの作用脳部位
LeDoux,Fanselow,Marenらの研究者達が最近10年間に精力的におこなった脳局所破壊実験により、CFSに機能的に関与している脳部位が明らかになりました。
さまざまな脳部位のなかで、とくに扁桃体はCFSにおいて中心的な機能的役割を果たし、その他、海馬、内側前頭前野、視床背内側核、中隔などもCFSに関与しています。
前項で述べたように、SSRIの全身投与は条件づけられた恐怖を抑制するが、SSRIの作用機序解明をさらに進めるためにはSSRIが作用する脳部位が明らかになることが必須です。
研究者達は最近SSRI脳局所投与のCFSに及ぼす影響を扁桃体、内側前頭前野、視床背内側核について検討し、扁桃体へのSSRIの局所投与がfreezingを特異的に抑制する結果を見出しました。
この結果は、SSRI投与により惹起される扁桃体でのセロトニン放出増加が不安・恐怖を減弱することを示唆しています。
それでは扁桃体で増加した細胞外セロトニンは扁桃体の神経活動にどのように作用するのでしょう。
研究者達はc-Fos蛋白発現を神経活動の指標として免疫組織化学的実験を最近行いました。
その結果、CFSは扁桃体基底外側核のc-Fos発現を増加させ、SSRI前投与はこの部位のCFSによるc-Fos発現増加を抑制することを最近明らかにしました。
したがって、SSRIは不安・恐怖によって増大した扁桃体基底外側核の神経活動に対して抑制的に作用して、抗不安作用を惹起すると考えられます。
一方、基底外側核に隣接する外側核にセロトニンを局所投与すると、電気刺激あるいはグルタミン酸投与によって刺激された神経活動が抑制されることが電気生理学的実験によって明らかになりました。
したがって、セロトニンの扁桃体に対する作用が抑制的であることは十分に考えられます。
不安の動物モデルから社会不安障害へ
PETにより脳血流の変化を検討した研究では、社会不安障害患者では他人の前で話す負荷により、対照群とくらべて不安が増強し、同時に扁桃体の血流増加反応も増強します。
しかも、SSRIにより改善がみられた社会不安障害の患者さんでは他人の前で話す負荷による扁桃体の血流増加反応も増強します。
しかも、SSRIにより改善がみられた社会不安障害の患者さんでは他人の前で話す負荷による扁桃体の血流増加は減少します。
これらのPET研究は、社会不安障害で恐怖症状により扁桃体の活動が亢進し、治療により社会不安障害の症状が改善するとともに、恐怖症状に対する扁桃体の反応が減弱することを示唆しています。
つまり、社会不安障害における恐怖症状についても扁桃体が重要な役割を果たしていることが示唆されています。
第2~4項までで紹介したCFSは症状モデルであり社会不安障害のような精神疾患のモデルとして考えることはできないし、CFSにおける恐怖と社会不安障害の恐怖はそれぞれ痛みと他人に対する恐怖であり恐怖の対象が異なります。
このような限界はあるものの、CFSにおいてSSRIが扁桃体の活動を抑制することにより不安・恐怖症状を減弱した所見は、社会不安障害の患者さんにおける最近のPET研究の結果とよく一致します。
恐怖における扁桃体の役割に関するサルの研究
扁桃体は危険を発見し、避けるための”防御装置”あるいは”番犬”であると考えられています。
扁桃体は周囲の物体あるいは生物を評価し、危険と判断した場合には避けるためのさまざまな反応を引き起こします。
たとえばサルの場合、ヘビを見たときにその視覚情報は視覚野から扁桃体に入力され、脅威として評価されます。
その際の評価の機序は不明だが、種に特異的な生得的な鋳型のようなものにもとづいたパターン認識が関与しているようです。
扁桃体が破壊されたサルでは新奇の物体をすぐに手でつかむのみならず、通常は嫌悪刺激となるゴム製のヘビの模型にも恐怖を示さず、すぐに手でつかみます。
初対面のサルとの遭遇では、通常サルは社会行動をすぐに起こさず、徐々に慣れてくるとともに社会行動を示すのに対し、扁桃体が破壊されたサルはすぐに社会行動を示し、同種個体間の恐怖・緊張はないようにみえます。
行動面の変化と同様の傾向は副腎皮質ホルモンの変化でも観察されました。
初対面のサルと遭遇したとき、サルの副腎皮質ホルモン値は上昇するが、扁桃体が破壊されたサルでは副腎皮質ホルモン値の上昇の程度は対象群にくらべて小さいです。
このようにサルの研究では、扁桃体は新奇の物体、生得的かつ種特異的に恐怖反応を引き起こす他の生物に対する評価・恐怖反応に関与しているのみならず、初対面のサルに対する緊張・恐怖反応にも関与していることが示唆されます。
つまり、扁桃体は外的な危険全般に対する防御機構を担っているようであり、先に述べたCFSにおける恐怖と社会不安障害における恐怖が扁桃体で類似の機序を介して惹起され、かつSSRIによって抑制される可能性をこれらの研究は示唆しています。
ヒトにおける顔認知と扁桃体
社会不安障害の精神病理において「他人の顔の認知」は症状を引き起こす大きな刺激となります。
人における顔の知覚では、有線野外視皮質の後頭側頭領域が中心系として顔の視覚的解析をおこない、皮質以外の拡張系が認知機能をつかさどり、顔に意味を見出します。
拡張系のなかでも扁桃体は顔から得られた情報を社会的関連から加工していくうえで、とくに情動との関連で中心的な役割を果たしていると言われています。
興味深いことに恐怖を示す顔の知覚、あるいは直接自分を注視する他人の顔の知覚は扁桃体に強い反応をもたらします。
社会不安障害にSSRIが有効であることから脳内のセロトニンは対人場面での恐怖症状に治療的に関連しているはずであるという出発点に立ち、CFSモデルにおけるSSRIの効果とSSRIの作用脳部位としての扁桃体の重要性を指摘しました。
社会不安障害の恐怖症状の成立を古典的条件づけのみから単純に説明することには無理があると思われますが、ヒトやサルにおける基礎的研究は扁桃体が表情認知、危険・脅威の評価とそれに対する反応、初対面の他者との交流において重要な役割を果たしていることを明らかにしてきました。
さらに社会不安障害の患者さんの脳血流PET研究でも恐怖発現時の扁桃体の反応異常が最近示されたことから、扁桃体の機能・反応という観点から考えると、ここで紹介した動物やヒトにおける研究は、社会不安障害の症状の成立や治療薬、とくにSSRIの作用機序を説明する基礎を提供してくれるのではないでしょうか。
「表情認知を介して社会恐怖が扁桃体で形成され、扁桃体の過活動あるいは反応過大をSSRIが抑制することにより、徐々に恐怖症状が出現しなくなり、一部は条件付けの消去過程を経て、社会不安障害が改善に至る」という仮説を検証していくことが社会不安障害の病態解明に光明を当てると研究者達は考えます。
おな、ここでは扁桃体を中心に研究を紹介しましたが、ここで紹介しなかった前頭葉による扁桃体のコントロールも注目すべき神経機能であり、不安障害治療における認知行動療法の生物学的機序との関連が示唆されています。
※参考文献:社会不安障害治療のストラテジー 小山司著