誤った自己主張には2つの形があります。
それは自己主張不足と攻撃性です。
自己主張不足
あなたが受身的であるときは、自分の感情、要求、意見を他人に表現することができません。
あなた自身が自分の意志伝達の権利を否定していることになります。
現実にどうなるかというと、あなたはしばしば本当はできないこと、楽しめないこと、本来ならする時間もないはずの事をしてしまいます。
受身的になると、自分が本当に思っていることや欲していることを言うことができないと自分自身を批判するので、自尊心が傷つけられます。
自分の要求や意見を主張できない人は怒り、憤慨、失望といった感情をしばしば抑え込んでいます。
そのような感情は身体の覚醒の緊張度を高めるので、パニックや不安を引き起こしやすくなります。
しばしば限界に達し、感情が抑制できなくなり攻撃的に爆発してしまいます。
もちろんそのあと罪業感を感じ、再び感情を押さえ込んでしまいます。
あなたは、受身的でいると、自己主張的であるよりも、攻撃的になってしまうことが分かるでしょう。
攻撃性
多くの対人交流において始めから攻撃的に反応する習慣の人もいます。
これにはいろいろな理由があり得ますが、その一つは、他人が自分を不当に扱っているとか、自分を困らせようとしているという世界観(別のタイプの非現実的、助けにならない考え方)が基本です。
人は攻撃的であるとき、しばしば罪の意識を感じ、自分の振る舞いを恥ずかしく思います。
犠牲者はしばしばおとしめられたと感じ、復讐したいと思います。
攻撃的であることは覚醒度を大幅に高め、その人を怒りと不安の瀬戸際に追い込んでしまうかもしれません。
自己主張不足と攻撃的主張と自己主張の違いは何でしょうか。
以下の例では、さまざまな人間関係に対するこれらの反応の違いを説明しています。
例1:運転が乱暴なお兄さんが車を貸してほしいと言います。
あなたは彼が車を壊さないという自信がないので貸したくありません。
あなたは何と言いますか。
自己主張不足:ああ、わかった。でも気を付けてね。
攻撃的主張:僕の車を貸してなんて図々しいね。僕だってバカじゃない。
自己主張:兄さんの運転では心配が残るので、車を貸したくない。
別に兄さんを助けたくないということではない。
兄さんの車が修理中なら代車を借りてはどうかな。
相手がまだ解決が必要な問題を抱えていることをあなたが分かっていることを示すために、建設的な提案を加えたいこともあるでしょう。
このことはあなたの選択に関わってくるものであり、明らかに状況によって変化します。
「いやです」というだけでいいときもあります。
例2:上司が部屋から出てきて、あなたがさっき仕上げた仕事を目の前において「これはごみだ」とあなたに言います。
あなたはどのように反応しますか。
自己主張不足:申し訳ありません。
そんなにひどいできだったでしょうか。
攻撃的主張:そう、そんなに不出来だとおもうならご自身でやってください。
自己主張:何が悪いか、そしてどう直せばいいか教えていただけますか。
例3:郵便局で列に並んで待っていたら、もうすぐ自分の順番になるというときになって誰かが「手短な質問なのでいいですか」と言って割り込んできました。
そこにはたくさんの人がいろんな理由で待っています。
あなたはどうしますか。
自己主張不足:はい、どうぞ。
攻撃的主張:あなたが質問するのを待っている時間なんかないわよ。
私には他にすることがあるのよ!
自己主張:私もずっと待っていてようやく順番が来たんです。私の用事も長くはかからないと思います。
自己主張不足であることは、社会不安障害や回避性人格障害において最もよくみられる問題です。
このことに対して最もよく見られる2つの理由は以下の通りです。
否定的評価への恐怖
社会不安障害を持つ人は、もし自分の本当に考えていること、したいと思っていることを口にしたら、他の人に受け入れられず批判され、見下されるのではないかと恐れています。
他の人の気分を害することへの恐怖
あなたは特に、もし相手に「いやです」と言ったり相手の意見に反対したら、相手の気分を害した責任が自分にあることになると信じるかもしれません。
これらは全能感、自己関係づけ、予言、読唇術といった認知の歪みを反映しています。
人生のさまざまな経験から誤った自己主張のやり方を身に付けてしまっている多くの人々は、自分の親の行動を見て、また親、教師、またその他の権威者が彼らにそういう態度を求めることから、自己主張しない反応の仕方を学びます。
一旦これらのパターンが確立されると、態度を変化させることは困難です。
なぜなら断定的態度をとろうとすることはあまりに大きな不安(相手はどんな反応を示すだろう?もし相手が怒ったり混乱したらどうしよう?)を引き起こすからです。
年月を経ることによって、この方法がすっかり習慣となります。
しかし、自己主張的な交流という新しい、より健康なスタイルをこれらの古い習慣の代わりに学ぶことができます。
あなたの今の人生において、現在の対人スタイルが適切で、かつ役に立つものになっているかどうかを批判的に吟味するときです。
自己主張という大原則によれば、我々のひとりひとりが自分および自分の行動に責任があります。
どのように他の人に反応するかを選ぶのは我々の責任であるし、一方彼らがどのように我々に反応するかを選ぶのは彼らの責任なのです。
我々は何を考えどのように行動するかを自分で意思決定する正当な権利があります。
実は、こうすると人生がはるかに楽なものになるのです!
なぜなら、他の人が何を欲しがっているかを知り、彼らを幸福にするためには、人の心を読まなくてはならないわけではないのですから。
何かを求めることは他の誰かに強要することであると感じる必要はありません。
なぜなら、彼らは不都合なことを求められたときには断る正当な権利があるからです。
以下に掲げた「自己主張権利章典」は、我々のひとりひとりが当然のこととして持っている対人交流における基本的権利を列挙しています。
それらを注意深く読み、自分の反応を調べてみましょう。
自己主張権利章典
●あなたはあなたが何をし何を考えるか判断する権利を有する
●あなたはあなたの行動について理由や弁解をしない権利を有する
●あなたは他の人の問題の解決方法を見つける責任を負わない権利を有する
●あなたはあなたの考えを変える権利を有する
●あなたは間違う権利を有する
●あなたは「知らない」と言う権利を有する
●あなたは自分で自分の決断を下す権利を有する
●あなたは「わからない」と言う権利を有する
●あなたは「どっちでもいい」と言う権利を有する
●あなたは罪悪感を感じずに「いやだ」と言う権利を有する
多くの人はこのような文面を見て若干のショックを受けます。
これはあなたの当然の権利のリストなのです。
すなわち、いついかなる状況でもあなたがすべきことなのではなく、自分が欲すれば選ぶこともできる権利なのです。
ある状況に対してどのように反応するかを自分で決めるときにこれらの権利を考慮に入れるとよいでしょう。
※参考文献:不安障害の認知行動療法(2)社会恐怖 患者さん向けマニュアル