この章では、<社会不安><社会不安障害>を<身体反応>という尺度から考えていく。
さて、読者のみなさんは、緊張を感じた時に身体が勝手に反応してしまった経験はないだろうか?
ある若い女性は次のように語っている。
会議など、人前で自分の意見を述べなければならない時ってありますよね。
そういう時、私は緊張のあまり、身体がおかしくなってしまうんです。
とくに、誰かの意見に対して反論をするとなったら、もう大変です。
まず、心臓が勝手にドキドキと高鳴り始めます。
次に、口がカラカラに乾いてきて、手のひらにじっとりと汗をかいて、とうとう身体中がガタガタと震え出してしまうんです。
だから私、とてもじゃないけど議論なんてできないんですよ。
結局、他人の意見に頷いたり、考え込むふりをしたりしながら、会議中ずっと黙っているしかないんです。
不安を感じる時、身体はどんな反応を示すか
この女性と同じような悩みは<社会不安><社会不安障害>を感じる人のほとんどが抱えているに違いない。
なぜなら、私達が感じる不安は、いつもまず初めに、動悸、喉の渇き、発汗といった<身体反応>として私達の身の上に現れるものだからだ。
十九世紀アメリカの心理学者で哲学者でもあるウィリアム・ジェームズも、《感情とは身体の反応である》と述べている。
また、不安という感情を言い表すフランス語の単語の多くが<身体反応>を示すラテン語を語源としていることも、こうしたことの現れと言えるだろう(たとえば、フランス語の「不安」angoisseの語源は、ラテン語の「締め付ける」angere)。
それでは、私達が不安を感じる時、具体的にはどのような<身体反応>が現われるのだろうか?
以下はそれらを発生頻度の高い順に並べたものである。
1.動機が激しくなる
2.身体が震える
3.汗をかく
4.筋肉がこわばる
5.胃が締め付けられる
6.口が渇く
7.身体がほてったり、逆に寒気をかんじたりする。
8.赤面する
9.頭が痛くなる
10.頭が圧迫されたようになる
11.気を失いそうになる
もちろん、他にもたくさんの<身体反応>が考えられるだろう。
さらに、人によって、あるいは状況によって、これらの反応が現われる度合いもさまざまである。
たとえば、人前で話をしようとする時、緊張のあまり胸が少しドキドキしたり、ちょっと身震いしたりすることは誰にでもあるだろう。
こうした反応はごく当たり前のこととして、いちいち気にしない人も多いに違いない。
ところが、こうした<身体反応>が激しくなると、極端な場合は<パニック発作>に至る場合もある。
<パニック発作>に襲われた人は、急に呼吸が苦しくなり、動悸が早鐘のように激しくなり、胸にキリキリとした痛みを感じる。
時には、全身に汗をかき、ガタガタと震え出すこともあり、自分が自分でないような感覚に陥ることもある。
こうした症状は心臓発作によく似ているので、「もしかしたらこのまま死んでしまうかも・・・」と不安になり、いても立ってもいられなくなってしまう。
実際には<パニック発作>が生命に危険を及ぼすことはないのだが、その症状のあまりの激しさに、本人はこの上ない恐怖を味わうのである。
ちなみに、電車やバス、満席の映画館、スーパーマーケットなどの公共の場で<パニック発作>を起こした人が、同じ場所へ再び行くことで、「また発作をおこすのではないか・・・」と不安を感じることがある。
こういう人が、その場所そのものに恐怖心を抱くようになってしまうことを<広場恐怖>という。
では、<パニック発作>の一例として、職業教育セミナーで発作を起こしたソフィーという女性の話に耳を傾けてみよう。
セミナーの最中、私は演壇に立って発表をしなければなりませんでした。
でも、マイクに向かっていざ話し始めようとした瞬間、突然、頭の中が真っ白になってしまったんです。
結局、気が動転してしまって、まったくひと言も発することができませんでした。
自分がいったいどこで何をしているのかさえ、わからなくなってしまったんです。
唯一覚えているのは、周りの人達に助けられたということだけ。
他のことは、いったい何が起こったのか、今思い出そうとしてもほとんど記憶にないんです。
様々な身体反応、さまざまな悩み
さて、<パニック発作>や<広場恐怖>についての詳細は別の機会に譲るとして、ここではそれほど症状が重くない<身体反応>に話を戻すことにしよう。
まず、<社会不安><社会不安障害>を感じた時の<身体反応>は、「比較的他人に気付かれにくいもの」(動悸がする、胃がキリキリする、口が渇くなど)と、「他人に気付かれやすいもの」(赤面する、身体が震えるなど)の、ふたつに分けることができる。
もちろん、気付かれにくいとはいっても程度によるが、一般的に考えて、より私達の悩みの種になりやすいのは、あとのほうの「他人に気付かれやすい反応」だろう。
ということでここでは<社会不安><社会不安障害>を感じる人が、どのような<身体反応>に悩んでいるかを順に見ていくことにする(ただし、とくに多くの人が悩んでいる<赤面症>については、別項で詳しく扱う)。
まず、ジャン=シャルルの話を聞いてみよう。
現在求職中の彼は、緊張のせいで「声が出なくなる」という<身体反応>に悩まされている。
「僕は、緊張すると声が出なくなっちゃうんだ。
就職の面接でも、最初の一言二言はわりと普通に話せるんだけど、次第に、まるで山羊が鳴いてるみたいに声が震え出して、最後には電池が切れかかったラジオみたいに声がかぼそくなってしまう・・・。
面接官に「何ですって?もう一度言って下さい」なんていわれたりすると、ますます委縮しちゃって、一生懸命絞り出しても声が出なくなってしまう。
本当にこまっちゃうよ。」
また、塗装工のジャックは、「手が震える」という悩みについて次のように語っている。
「おれが普段請け負ってる仕事は、個人宅のちょっとした塗装が多いんだ。
でもね、仕事自体はまったく問題ないんだけどさ、ちょっと困ったことがあるんだよ。
実はさ、ひと仕事終えた時、依頼主からお茶やコーヒーをごちそうになることがあるんだけど、なんだか緊張しちゃうんだよね。
グラスをもつ手が震えちゃったり、スプーンがカップにぶつかってカチャカチャと音を立てたり、コーヒーをこぼしそうになったり・・・。
それできまずい思いをしたことが何度もあるよ。
だからさ、いまは飲み物をいただくのはなるべく遠慮してるんだ。」
「声が出ない」、「手が震える」といった<身体反応>のほかにも、「急にお腹がゴロゴロ鳴って恥ずかしい思いをした」というように、<身体の音>に悩まされている人も少なくない。
ここで、ある女子学生の話に耳を傾けてみよう。
「私、クラシックコンサートを鑑賞するのが趣味なんですけど、実は困ったことがあるんです。静かな会場で演奏に耳を傾けている間、なぜか唾液が次々とあふれでてきて止まらなくなってしまうんです。
そこで唾液を飲み込まなくてはならなくなるんですが、その「ごくん」という音が隣の席の人に聞こえてしまいそうで・・・。
でも、そうやって「ああ、どうしよう」と心配すればするほど、唾液の量が増えていくんです。
ええ、コンサート会場だけじゃありません。
映画館とか、教会でも同じことに悩まされています。」
一見、他人には気づかれにくいようだが、「手が汗ばむ」という症状に悩んでいる人もいるだろう。
とくにフランスでは、ごく日常的に他人と握手を交わす習慣があるので、そういう症状はある程度深刻な悩みを引き起こす(フランスに比べると、英国などのアングロサクソン系の国ではそれほど頻繁には握手をしない)。
ある女性は、緊張すると手が汗ばんでしまうので、握手ができない状況をあえて作り出す努力をしているという。
たとえば手袋をしたり、わざと分厚い書類を抱えて手を差し出せないようにしたり、あるいは礼儀知らずだとおもわれるのを承知で、遠くから軽い会釈をするだけで済ませたりしているのだ。
また、ある男性は、緊張すると「手が汗ばむ」せいで、ちょっと困った事態を引き起こしてしまったという。
ある時、彼がOHPを使って資料の説明をしていると、プロジェクターに自分の手の汗の染みがくっきりと映し出されてしまった。
以来、彼はこの機会を使うのを避けるようになり、どうしても使わなければならない時は、女性秘書に代わってもらうことにした。
すると、結果としてその秘書は会議のたびに彼に付き添うようになったため、しばらくして「ふたりは不倫しているのではないか」という噂が社内に広まってしまったのである。
<社会不安><社会不安障害>を感じた時の<身体反応>には、いっぷう変わったものもある。
たとえば、トイレに行きたくなる、吐き気をもよおす、などがそうだが、いずれの場合も社会生活を営む上で大きな支障をきたしかねない。
次に挙げる四十代の男性も、そうした悩みを抱えるひとりである。
「実は、人前にでなくてはならない時、いつも緊張してトイレが近くなってしまうんです。
ただ幸いにも、これまでの私の仕事では、人前で何かをするような機会はまったくありませんでした。
ところがつい最近、部署を異動することになってしまったんです。
新しい職場は、いつもなんだかんだと会議ばかりしているところで、私もみんながいるところで話をする必要が出てきてしまいました。
案の定、会議のたびにトイレが近くなり、そのためにしょっちゅう中座をしなくちゃならないんです。
恥かしいやら、面倒やらで、つくづく嫌になってしまいますよ。」
このように、<社会不安><社会不安障害>を感じた時に現れる<身体反応>の種類は、人によって千差万別である。
ところで、最後にひとつ、ある興味深い調査結果についてお話ししておこう。
実は、楽器の演奏者がもっとも不安を感じている<身体反応>について調べたところ、なんと、演奏する楽器の種類によって差がある、という結果が出たのである。
それによるとたとえば、トランペットやオーボエなどの管楽器奏者は、あがることで「唇が渇く」ことをもっとも怖れているという。
また、ピアニストは「手が震える」ことを、バイオリンなどの弦楽器奏者は「手が汗ばむ」ことを、それぞれいちばん不安に感じているのだ。
これは不安と<身体反応>の関わりあいの深さを示しているという点で、大変面白い調査結果ではないだろうか。
※参考文献:他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学
クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著 高野優監訳