対人関係療法を行っていくと、全体として、症状は対人関係の成果よりも何歩か遅れて改善していきます。
ところが、対人関係のやりとりに自信がついてきたときに強い身体症状が出たりすると、「ああ、対人関係に自信がついても症状はよくならないんだ」と絶望的になることもあります。
その気持ちはよくわかりますが、ここは重要なポイントです。
社会不安障害が病気でなければ、「自信が付く=苦しみがただちに解消される」ということになるでしょうが、病気はそんなに単純なものではありません。
たとえば、風邪であっても、確かに休養を十分にとって快方には向かっているのだけれどもまだ咳が出る、というようなことはよくあります。
そういうときに「昨夜はぐっすりと眠れてだいぶ身体が楽になってきたと感じたのに咳が出たということは、全然治っていないということなのだろうか。
自分の風邪は一生よくならないんだ」と思いつめるでしょうか。
そんなことはないと思います。
ただ、「風邪はよくなってきているけれども、まだ咳が出るんだな。
引き続き注意しよう」と思うのではないでしょうか。
どちらも病気という点では同じであるのに、風邪と社会不安障害で捉え方がこんなにも違うということは、もちろん病気自体の慢性度や複雑さもありますが、何と言っても、風邪の経過はよく知られているけれども社会不安障害の経過はあまり知られていない、というところに最大の理由があるのだと思います。
これは、本書で繰り返しお伝えしている「コントロール感覚」の問題につながります。
風邪はよほどこじらせない限り、だいたいの人にとって「こういうことに注意すればだいたいこれくらいで治る」ということがわかっています。
こじらせたときですら、「ああ、〇〇のせいでこじらせたな」と認識することができます。
そういう意味では、風邪という病気はコントロール範囲内の病気なのです。
でも、社会不安障害の場合には風邪ほど知られていませんから、治療のプロセスのなかで対人関係上の自信がついてきても、身体症状はしばらく続くということがよく理解されていないのです。
なぜ、対人関係に自信がついても身体症状が起こるのか、ということですが、不安障害における不安反応は、理屈を超えているのが特徴です。
状況をよくよく咀嚼して不安になる、というのではなく、ほとんど条件反射なのです。
社会不安障害の場合は、「人前で話す→不安でドキドキする」というところが、理屈を介さずにつながっているわけです。
条件反射は、いくら理屈を言っても効果が無く、新たな条件付けをしていくことでしか変わりません。
そして、人間は機械ではありませんから、新たな条件付けにはある程度の時間がかかります。
それが、対人関係に自信がついてから、実際に不安反応が収まってくるまでの、時間的なギャップなのです。
「では、不安反応はいつ収まるのか」というところに目を向けてしまうと、結果として不安反応は気になり続けると思います。
不安反応についてのコントロール感覚が持てないからです。
それよりも、「不安反応が起こる=単に、以前のパターンが続いているだけ」と認識することができれば、はるかにコントロール感覚を持てるでしょう。
その時点で、不安反応そのものが、あまり意味のないものになってきます。
以前は、「不安反応が起こる=自分は人間としておかしい」ということだったのと比べれば、その存在感がずっと小さくなるでしょう。
社会不安障害の身体症状はある日すっきりと治るようなものではなく、一進一退を繰り返しているように見えながら徐々によくなっていくものです。
「やっぱり何もよくなっていない」と思ってしまうことが、症状に実際以上の力を与えてしまうということになります。
身体症状が出たら、「また症状が出たな」と思いつつ、引き続き精神面の安定をはかる努力をしていけばよいのです。
最悪だったときの自分と比較して改善したところを探すのはよいやり方です。
「やっぱり何も良くなっていない」わけでなく、かなりよくなってきているのです。
そうやっていくプロセスそのものが社会不安障害を治していくという事だと言えます。